債権譲渡禁止特約

公開:2025/11/19

金属加工業を営むA社は、取引先の自動車メーカーBに対して、継続的に供給しているエンジン用バルブの売買契約に基づく売掛債権αを有している。債権αには、売買契約締結時に交わされたAR間の取引協定書において、「Aは、Bのあらかじめ書面により承諾した場合を除いて、債権αを譲渡・質入れしてはならない」旨の特約(「本件特約」)が付されていた。 その後、Aは、金融機関Cから事業資金の追加融資を受けるに当たり、Cの貸金債権を担保するために、Bに事前の承諾を得ることなく、債権αをCに譲渡し、同日債権譲渡登記ファイルに登記をした。Cは、債権αをAから譲り受けるに先立ち、A・B間の契約書の内容をチェックしており、債権αに本件特約が付されていることを知っていたが、Bから譲渡の内諾を得ているというAの説明を信じ、それ以上にBに確認しなかった。 他方、Dは、Aに対してバルブの製造に必要な金属類の供給契約に基づく売掛債権γを有していた。債権γの弁済期が到来しても、Aが弁済をしなかったので、Dは、債権γの弁済に代えて債権αを譲り受け、Aは、翌日に確定日付ある証書によりDへの債権譲却をBに通知した。Dは、債権αを譲り受ける際に、A・B間の契約書の内容を確認しておらず、債権αに本件特約が付されていることを知らなかった。 債権譲渡通知書を受領したBは、Aに事情を問い合わせ、このときにはじめて、Aが債権αを事前の相談なしにCおよびDに譲渡していた事実を知った。AがCから融資を受けることはAの経営上不可欠であることから、Bは、債権αをAがCへ譲渡したこともやむを得ないと判断し、Cへの譲渡を書面により承諾した。Bは、CとDのいずれに債権αを弁済すべきか、少し判断に迷ったものの、債権譲渡登記の日付がDへの債権譲渡通知の到達日時よりも早かったこともあり、Cに対して債権αを弁済した。その後、DがBに対して債権αの履行を請求した。Dの請求は認められるか。 [参考判例] (1) 最判昭和48・7・19民集27巻7号823頁 (2) 最判昭和45・4・10民集24巻4号240頁 (3) 最判平成9・6・5民集51巻5号2053頁 (4) 最判平成21・3・27民集63巻3号449頁 [解説] 1 債権譲渡制限特約とは (1) 特約の意義 債権は、財産権であり、その性質が許さない場合を除いて、自由に譲り渡すことができるのが原則である(466条1項)。債権譲渡制限特約とは、それにもかかわらず、債権の譲渡を禁止し、または債権譲渡の効力を生じさせるために債務者の承諾を要するなどの方式により、債権の有する譲渡性を制限する趣旨の意思表示を含む債権者・債務者間の特約をいう(同条2項)。 預貯金債権は譲渡制限特約が付されていることが通常となっている。建設業請負契約に基づく請負人が報酬債権の処分により譲渡制限特約が付されていることが多い。特に、近時は、本問のように、売掛債権にも譲渡制限特約が明記されている。この特約の目的は債権の発生を阻害する要因として問題視されるようになっている。いずれにせよ、譲渡制限特約の効力については、主に金銭債権を念頭に置いて議論がされてきた。 (2) 特約によって保護されるべき利益 債権譲便制限特約は、債権者が本来有する譲渡性を制約する趣旨の意思表示を含む合意であり、譲渡されると困る何らかの事情がある債務者の利益 譲を目的として交わされ、すなわち、債務者は、①(相殺)相手方を固定することにより、②将来に同一の当事者間で反対債権が発生した場合の相殺の期待権の確保、③相殺に対する期待権の確保、④A間の金銭の授受に関する債権として債権αを固定することにより、債権の一元化による事務処理の煩雑さを避けることなどを目的とするものである。 譲渡制限特約の定め方は一様ではない。本件特約のようなもののほか、「債権者は一切譲渡・質入れをしてはならない」とか、「債権者は書面による債務者の承諾があれば債権を譲渡できる」といったものがある。後者の特約であれば債務者が自己の判断で譲渡を有効に譲渡することができない、という観点において共通することから、民法466条2項もこれらを譲渡制限特約として一括して規律している。 2 特約の第三者に対する効力 (1) 債権的効果 民法466条2項は、譲渡制限特約の効力を物権的に捉えている。すなわち、債務者の財産権としての性質を重視し、その譲渡を当事者が任意に制約することはできず、特約付債権の譲受人はその意思・悪意にかかわらず、譲渡制限特約の効力を有効なものとして主張しうるとしている。譲渡制限特約の譲渡は少なくとも第三者との間においては一切影響を受けない。譲渡制限特約には経済的な効力を阻害しないという債務者の保護に必要な範囲で一定の効力が認められるにすぎないと考えられている。 本問において、Cは、特約の存在を知っていても、債権αを取得し、かつCへの譲渡につき債権譲渡登記により第三者対抗要件も具備されていることから(譲渡制限特約4条1項)、その後に債権αを本件特約の存在を知らずにDが譲り受けた第三者に対抗要件を備えたとしても、Cが確定的に債権αの第一次的な権利者である。Bは、特約の存在を理由として、債権αがCに帰属している状態で、従前どおりAに対して弁済その他の債権消滅行為を行うことができる余地を確保することができれば足り、債権譲渡の譲渡が無効であるという主張までBに許すのは、特約の目的を超えた過剰な効果を与えることになるといわざるをえない。 なお、当事者間で譲渡を禁止ないし制約する合意をすること自体は有効である。本問において、債務者の交替に伴ってBが負担する弁済費用が増加した場合などには、Cに債権の譲渡に伴う事務処理費用が増加したときは、BからCに請求しうる可能性がある。今の譲渡制限特約付債権の譲渡によって債務者が負担を生じる余地がないという特約の定め方を工夫して (2) 物権的効果 他方、契約自由の原則を重視する場合、当事者による内容形成の自由の一環として、債権者と債務者の合意のみにより譲渡性を制約された債権を創出することができうると考えられる。この場合、意思表示による譲渡の効力は物権法上の譲渡と同視しうるので、その意思表示による譲渡の効力も譲渡制限の意思表示に反して第三者に対抗することができる」と判断した。判例は、善意の第三者についても譲渡が無効であると解することができる(参考判例①)、同項ただし書の「善意」を「無重過失」と解すべきかについて、同項の趣旨が譲渡契約の有効性と譲渡人の契約上の地位を明確に区分したものであること(物権的効果説)と解してきた(参考判例②)。 よって、2017年改正民法では、Cへの譲渡は①無効であり、無効な譲渡に関する譲渡制限特約登記も法務上有効である。他方、善意のDに過失がなければ、Dへの譲渡は有効である。Dへの譲渡があることによって債務者に対する関係では、本件特約付債権も譲渡されることとなる。本件では、Dの無重過失も問題となるが、譲渡制限特約の存在につき悪意・重過失であった場合はBがDへの譲渡についても無効であると主張できることになり、第三者対抗要件の先後によるのでは(467条1項)、Dの権利が優先すると考えられる。このように第三者の保護が優先されるのは、2017年改正民法は466条の2で抗弁の付着性の観点から自己の権利の有効性を判断できるためである。 3 債務者の利益保護 (1) 悪意・重過失の譲受人に対する履行拒絶 民法466条2項は、債権譲渡を保護する方針で、つまり譲渡制限の保護 を重視する利益を立てた(2(1))。反面、債務者は弁済の相手方を譲渡人に固定することによって生じる利益を有しているから、そのような債務者の利益にどう配慮すべきか、次に問題となる。 譲渡制限特約に対抗することのできる場合の第三者の主観的態様に応じて区別する考え方は、2017年改正民法466条2項において採用されており、そうした考え方自体は民法466条3項にもそのまま承継されている。すなわち、Cが譲渡制限特約の存在について悪意の場合、Bにも応力を主張するまでもなく、BがCに弁済することを拒否し、代金を全額Bに持参して供託することも許されよう。そこで、Cが譲渡制限特約がある場合は悪意と推定され、Bは、Cへの請求において、譲渡を承諾してCに対して弁済をしてもよいし、特約に基づき自己の債務を履行するように絶えず促したうえで、Aに対して弁済その他の債務消滅行為(相殺など)をしてもよい。このように、債権の履行拒絶特約は、譲受人の悪意・重過失の限度で、債権の帰属・収支機能を弁済請求の債権者の分離と承認を促すものとして再構成されており、従来の物権的効果を精緻化したものといえよう。 (2) 供託 債務者Bは譲受人の主観的態様を窺知しうる立場にはない。そうすると債権者譲渡の事実を知ったBとしては、そもそも譲渡制限特約のもとに主張できるのかどうかかわからない不安定な立場に置かれる。また、本問のように債権者がCとDに二重に譲渡されていることもあり、いずれに支払うべきか迷うことも考えられる。そこで、債務者はBのような場合に供託をして免責を得ることができるとされている(466条の2)。 2017年改正民法は、悪意・重過失の譲渡人は無効となるため、A・C・Dのいずれかの者も過失なく知ることができない場合に該当し、非弁済供託の一般規定(旧494条後段)に従い供託することができる。ところが、譲渡制限特約付債権の譲渡が常に有効とされ、債務者が債権を譲渡することができない事態が生じないことになったため、特約の存在を知るか否かが重要な要素である。 4 債務者の抗弁権の主張が制約される場合 (1) 悪意・善意で譲渡 Cは、悪意で債権αを取得してもBが譲渡制限特約を主張してAに弁済すればCに対して不当利得返還請求ができる。この点は改正民法上も大きな違いはなく、債権の譲渡性を高めるうえで重要な改正点と評価されている。もっとも、これだけでは譲受人の利益保護というわけではない。すなわち、このときのBの意思が大切であり、Bは債権者ではないA・Bに対して債務を履行して弁済する。そうすると、Bは、Cの故意・重過失による無効を主張してCに対して債務の履行を拒絶しないことになるとも想定しておかねばならない。B間に履行の履行を強制できないという不利益が生じることがないという状態が続くのが問題である。 そこで、このような事態の早期収拾に苦慮した譲受人は相当の期間を定めて譲受人に履行を請求するよう催告することができ、債務者は、相当の期間の経過後もAに履行がないときは、債務者は譲渡制限特約を主張することをできなくなる(466条4項)。特約の存在により債権を譲渡するべきでないと考える場合であっても、譲渡されるべきでない利益を守るべき手続きにすぎずにおり、債務者が履行によって保護されるべき債権の譲渡の効力を否定して譲受人へ履行を拒絶する正当な利益はないという趣旨が問題である。よって、悪意・重過失のCがAに履行するよう催告をして相当期間が経過した後はBがCにAの履行しない場合、Cの請求・催告義務違反の場合と同じ法律関係に転換し、Bは、譲渡制限特約の存在を無視して自己の債務を請求することができることになる。 (2) 倒産・転付命令等による 債務者が破産等により任意に債務の履行を期待することを認め、債務者の主観的態様にかかわらず、譲渡制限特約付債権を譲渡することによる。Cが譲渡制限特約付債権の譲渡を得意とする場合にも、転付命令、命令によって取得することができる(466条の5第1項)。本問において、仮にCが債権を譲り受け、代物弁済・転付命令を得た場合、B・重過失であっても、Bは客観的に主張されることはない。また、仮にCに対する一般債権者Eが差押命令を得た場合は、すでにCに確定的に帰属 しているから、Eも、その主観的態様にかかわらず、債権αを差押・転付命令により取得することができる。もっとも、Bがよりも有利な地位に置かれるべき理由はない。Bは、Cの故意・重過失に由来する履行拒絶特約を主張しうる場合は、Eに対してBも同様にその特約を主張して履行を拒絶することができる(同条2項)。 5 預貯金債権の特則 (1) 物権的効果の維持 これまで述べてきた譲渡制限特約に関する原則的ルールは、債権の種類や譲渡制限特約の当事者の属性、譲渡の回収行為の有無等を問わず、一律に適用して妥当する。 唯一の例外は預貯金債権に関する譲渡制限特約に関する譲渡制限の物権的効果(2(1))が引き続き認められる。すなわち預貯金債権の譲渡の譲渡は原則として無効であり、善意・無重過失の譲受人への譲渡も無効である(466条の5第1項)。例外承認の正当化根拠として、①民法466条2項の適用に対応したシステムを構築し、それに伴って管理しようとすれば、コストが著しく増大すること、②頻繁に入出金が行われる膨大な数の預託口座の管理において円滑な払戻業務に支障が生じかねないこと、③預貯金債権はその性質上現金化されているも同然であり、差入人の資金調達の便宜を図るために譲渡性の障害となる特約の効力を制限する必要性に乏しい、などと説明されている。 譲渡制限特約により譲渡が禁止される債権については、無効の譲渡であってもその後の譲渡(466条の5第2項、参考判例③、参考判例②)は有効に扱われ、Cに対して預金債権を譲渡した場合にも、Dはその後の善意・悪意にかかわらず債権αを差し押さえ転付命令により取得することができる。 (2) 物権的効果の下での解除 譲渡制限特約に物権的効果が認められるが、かつ譲受人が悪意・重過失である場合には問題となる(無効の主張権者の範囲である。原則として債務者による解除が常に有効であると考えると、原則として主張権者が債務者に限定されると考えられる(相対的無効説))。他方で、債務者の他に無効を主張することにつき独自の利益を有する者は無効を主張することができるという考え方(相対的無効説)もありうる。判例は、少なくとも譲渡人および譲渡人の他の債権者が物権的効果を主張しうる根拠を認めていない(参考判例①)。 次に、債務者が譲渡を承諾した場合、譲渡が承諾時から将来的に有効になるのかどうかも問題となる。判例は、処分行為それ自体は無効だが、処分権限なき者のした法律行為について権利者のした追認に関する民法116条ただし書の法の法意に依拠し、債務者は、債権譲渡の事実を承諾より前に知っていたために有効になるものを、譲渡承諾後に出現した包括承継のような事由により譲渡債権の対抗的効力を有する第三者の利益を害することはできないと解している(参考判例④)。 [関連問題] Aに破産手続が開始し、Eが破産管財人に選任された。CがBに対して債権αの履行を求めた場合、Bは本件特約を主張することができるか。また、Cは債権αを確実に回収するためにはどのような請求をするべきか(466条3項)。 [参考文献] 野澤正充・百選Ⅱ52頁/角紀代恵・平成21年度重判53頁/第一法規株関係159頁/講義207頁(小野美恵)/Before/After252頁(篠崎) (石田 剛)

千葉恵美子・潮見佳男・片山直也編者『Law Practice 民法Ⅱ【債権編】〔第5版〕』

集合債権譲渡担保

公開:2025/11/19

2020年4月1日、株式会社Aは、B銀行から5000万円を借り入れるに当たって、「2020年4月1日から2025年3月31日までの間に、Aが所有する甲建物の賃貸により取得する賃料債権を担保のためBに譲渡する」という内容の譲渡担保設定契約をBと結んだ。これについては同日付で債権譲渡登記が行われている。ところで、この時点で、甲建物(B名義のオフィスビル)の2・3階はC社、4・5階はD社がそれぞれ賃借していたが、これら2社に対して譲渡担保設定の旨の通知は行われず、C・Dは引き続き(C・Dとも月額200万円)をAに支払っていた。 2021年5月1日、Aは新たにE社と甲建物の1階部分の賃貸借契約を締結し(賃料月額100万円)、同日Eは甲建物に入居した。2022年10月1日、Aは甲建物をF社に売却し、所有権移転登記も同日に行われた。C・D・Eはそれ以降はFに賃料を支払うようになったが、Dの賃借期間は2023年5月31日に満了し、同月7月1日、代わってG社がFと新たに賃貸借契約を締結して甲建物の4・5階部分に入居した(賃料月額150万円)。 2024年4月1日、Aは2回目の手形不渡を出して事実上倒産したので、BはAに対し借りた5000万円を回収するため、C・D・E・Gに対して債権譲渡登記の登記事項証明書を交付して譲渡担保を承知し、以後Bに賃料を支払うよう求めた。これに対してC、E、Gが要求に応じ引き続いて賃料を支払う一方、C・D・E・GはBとFのいずれに賃料を支払うべきか。 [参考判例] (1) 最判平成11・1・29民集53巻1号151頁 (2) 最判平成13・11・22民集55巻6号1056頁 (3) 最判平成10・3・24民集52巻2号399頁 [解説] 1 集合債権譲渡担保の有効性 近年、複数の債権(集合債権)をまとめて譲渡担保に供することによって、多数の債権が行う取引が急増しつつある。ここでいう「集合債権」とは、多くの場合、複数の債務者に対する債権を含み、さらには発生済みの債権のみならず将来発生する債権をも含むものである。そこで、このような集合債権を目的とする譲渡担保の有効性がまず問題となる。 集合債権譲渡は、その契約の締結日に譲渡の対象の債権が発生していることを要しない(466条の6第1項)。これは、すでに判例が認めていたことを明文化したものである(参考判例①)、集合債権譲渡担保は、設定者(譲渡人)および他の債権者の保護の観点から、譲渡担保の目的たる債権の範囲が特定されている必要があるが、この点についても参考判例①が基準を示しており、債権の発生原因や発生期間に係る事情等のほか、将来債権の譲渡の場合にはその始期と終期を明確にすることによって特定されるとしている。本問では、債権の発生原因(甲建物の賃貸借)および存続期間(2020年4月1日から2025年3月31日まで)が指定されており、特定としては十分と解すべきことになろう。 ところで、本問の集合債権譲渡担保は、その目的となる賃料債権を特定していない。DとGの名を特定していない。しかし、このような債権者が不特定である場合であっても、債権の発生原因と期間を特定するなどの方法によって、他の債権者の財産と明確に区別するような事情があれば特定性は満たされると考えるべきである。このような特約がなされた場合に、譲渡担保契約がなされた後に新たに賃借人となったEに対する 賃料債権もまた、集合債権譲渡担保の目的物に含まれることになる。 2 集合債権譲渡担保の対抗要件 集合債権譲渡担保は、あくまで担保目的で設定されるものであり、被担保債権が不履行に陥るまでは、設定者(譲渡人)が引き続き債権から目的債権の弁済を受けることができるとされているのが通常である。しかし参考判例③は、このような場合であっても、債権は設定時から譲渡担保権者に確定的に譲渡されており、ただ、設定者と譲渡担保権者との間において、譲渡担保権者に帰属した債権の一部について、設定者が譲渡人の同意を得て、代わりに取り立てる権限を付与されているにすぎないものと解している。 したがって、集合債権譲渡担保も通常の債権譲渡にほかならず、これと同じ方法によってその対抗要件(債権譲渡登記、債務者に対する通知・承諾)を具備することができるのである。本問のように債務者が不特定・多数の場合には、実際上これをいかにして満たせるかの問題となる。C・Dのように、譲渡制限設定時に存在している債務者に対しては、確定日付ある証書による通知を行うことで債務者に対する対抗要件を備えることができるとしても(467条1項・2項)、設定時にはまだ存在しない債務者に対してはどのように通知を行うべきか、他の譲受人(譲渡人の債権者)との間の対抗関係で優劣を主張しうるにすぎない(同条2項)。債務者が存在する場合には、それに同じく通知を行うのも煩雑であるし、より実際的な問題として、債権譲渡を行ったことを債務者に知れてしまうと設定者(譲渡人)の信用に悪影響が及ぶという点も無視できない。 これらの問題を解決するために用意されているのが、債権譲渡登記法(動産及び債権の譲渡の対抗要件に関する民法の特例等に関する法律)が定める債権譲渡登記制度である。この登記は、譲渡人が法人であり、譲渡対象債権が金銭債権である利用可能である。この制度は、債務者の対抗要件と債権者に対する対抗要件を分離した点に大きな特徴がある。すなわち、まず譲渡対象登記を行った段階で、債権者以外の第三者に対する対抗要件が具備されるが(動産譲渡登記特4条1項)、債権者が債務者に対するためにも、登記事項証明書を債務者に通知しなければならない(同条2項、民法467条に異なり、譲受人から通知してもよい)。このような二重の効力が認められているので、債務者に通知しなくとも債権譲渡の第三者対抗要件を具備することが可能である。また、債務者に対する通知も譲渡の時にまとめてすることができる(債務の発生時期によって登記をすれば足りる)。本件における第三者に対する譲渡制限特約については、Eの新規(2022年5月1日)およびGの新規(2023年4月1日)を基準として他の利害関係人が現れたと解される。 3 将来債権をめぐる利害関係の調整 本問では、甲建物の賃貸借から生じる賃料債権がまとめて集合債権譲渡担保に供された後、甲建物自体が譲渡担保権者(F)に譲渡されている。このように、集合債権譲渡担保と、集合債権を生み出す財産自体の譲渡とが競合した場合に、譲渡担保権者と当該財産の譲受人のいずれが優先するかの問題となる。 参考判例①は、集合債権譲渡担保の目的債権が、賃貸人の賃借人に対する賃料債権の先取特権のように当該財産の価値に内在するものではなく、賃貸人の地位の移転(→本書14章参照)を受けた譲受人は、賃料債権の所有者から当然に目的物を引き渡す義務を負うものではない。譲受人は譲渡担保権者に対し、当該財産から生じる賃料債権を対抗することができないと示した(参考判例②)。将来建物における賃料債権をめぐる利害関係人の間の調整を図る必要があり、集合債権譲渡担保の対抗力をできるだけ弱めることが考えられる。集合債権譲渡担保は対抗要件を備えることを考えると、対抗要件を備えることができないのでは、本問では、少なくともC・Dから賃料を回収することはできるはずではなくBであるという結論になる(これに対し、Gとの賃貸借契約はFが建物を取得した後になされたものであり、これについてはBから賃料の回収を受けるわけではないので、ただちにC・Dと同様に解することはできないと解される)。 一方で、学説においてはこの将来債権のうちのどの範囲のものについて、債権譲渡においてはこの将来債権をめぐる問題(処分権)を有するべきかという形で問題が提起され、現在では次の3つの考え方がありうるとされている。①賃料債権の 譲渡担保権者は、集合債権譲渡担保の効力を不動産譲受人に対抗することができ、譲渡担保の目的となった賃料債権はすべて譲渡担保権者に帰属するという考え方。この立場は、賃料債権の処分権は不動産の所有者から生じるという理解のもと、譲渡担保設定者(旧賃貸人)は譲渡担保設定の時点では賃料債権を所有しており、将来の賃料のすべてについて処分権限を有していたので、その処分権に基づいて設定された集合債権譲渡担保の効力が当然に優先されるべきではないかと考えるものである。②譲渡担保設定者(旧賃貸人)が締結した賃貸借契約に基づき発生する賃料債権は、譲渡担保権者に帰属するが、不動産の譲受人である新賃貸人が新たに行った賃貸借契約に基づき発生する賃料債権は、新賃貸人に帰属するという考え方。これは、賃料債権の処分権は契約上の地位に基づくものであることを前提に、譲渡担保設定者(旧賃貸人)が締結した契約から生じた賃料債権については、賃貸人の地位(契約上の地位)を承継した不動産譲受人にも譲渡担保の対抗効が及ぶ一方、不動産譲受人が自ら新たに締結した賃貸借契約に基づく発生する賃料債権については、譲渡担保設定者に処分権がなく、譲渡担保の効力が及ばないとする立場である。③集合債権譲渡担保の効力は不動産譲受人(新賃貸人)に対抗することができず、賃貸不動産の譲渡後に発生するすべての賃料債権はすべて新賃貸人に帰属するという考え方。この立場は、不動産の譲渡後に発生する賃料債権は不動産譲受人のもとで発生するため、譲渡担保設定者(旧賃貸人)はこれに対して処分権を有しないと考えるものである。この問題は、譲渡対象債権の処分権が誰について生じるのか(債権を生み出す財産の処分か、契約上の地位か)という理論的な対立があることに加えて、実際的にも、一方では不動産所有者の多様な資金調達を可能にするというメリットを、他方で不動産の所有権と活用が分離することによって生ずる弊害(不動産取引への支障や賃貸不動産の劣化)を、ともに考え合わせなければならないという難しさがある。 本問において、仮に③の見解をとるならば、C・D・E・GはBに賃料を支払わなければならないことになる。これに対して②の見解をとると、C・D・EはいずれもFに賃料を支払わなければならず、結論が正反対になる。②の見解だと、譲渡担保設定者であるAと賃貸借契約を締結したC・EはBに、Aから建物を譲り受けた新たに賃貸借契約を締結したFに、それぞれ賃料を支払うべきということになろう。 ところで、集合債権譲渡担保をめぐる不動産自体の譲渡とが競合する場合は、本問のような賃貸借ケースに限られない。たとえば、ある企業の特定の取引に基づく売掛債権について集合債権譲渡担保が設定された後に、その取引に係る事業が他の企業に譲渡(会社467条)されたような場合にも、事業譲渡後に発生する売掛債権が譲渡担保権者と事業の譲受人のいずれに帰属するかが問題となる(発問設題①参照)。基本的には上記①〜③と同様の考え方がここでも成り立ちうると思われるが、②の考え方をとる場合にはやや注意が必要である。事業譲渡契約においては、取引関係にすぎず基本的な取引条件を定める契約(基本契約)が締結され、これに基づいて個別の売買契約(個別契約)が繰り返し締結されるという形態がみられる(基本契約)。この場合に、事業譲渡がなされることによって移転するのは設定者(基本契約)の契約上の地位であると考えられるので、集合債権譲渡担保の効力が事業の譲受人に及ぶのは、基本契約と個別契約との結びつきの強弱という微妙な判断に委ねられることとなる。 集合債権譲渡担保をめぐっては、これ以外にも、譲渡担保設定後に譲渡対象債権について譲渡制限特約が付された場合に譲渡担保権者はこの債権を取得しうるかという問題があるが(発問設題②参照)、これについては明文が設けられた(466条の6第3項)。 [発問] 株式会社Aは電子部品の製造を営む中小企業である。Aの技術力は世界的に高く評価されており、将来有望な小型モーターを大手メーカーにCとD社に納入している。2020年4月1日、Aは、運転資金5000万円(期間5年、弁済期2025年3月31日)をB銀行から借り入れるに当たって、「2020年4月1日から2025年3月31日までの間にAが小型モーターの販売によって取得する代金債権を担保のためにBに譲渡する」という内容の譲渡担保設定契約をBと結んだ。これについては同日付で債権譲渡登記が行われ

千葉恵美子・潮見佳男・片山直也編者『Law Practice 民法Ⅱ【債権編】〔第5版〕』

債権譲渡と相殺

公開:2025/11/19

自動車用の精密部品を製造するA社は、自動車メーカーB社に本件モーター用の部品を納品していた。Aが2022年に締結した基本契約書には月間の総販売数量が定められていたが、これを目指すBは、この数量をAから購入する義務はないことが明記されていた。また、Bは希望する数量の20日前までに発注すること、Aはこれに応ずること、Bは納品から40日後に代金をAに支払うこととされていた。 2025年4月1日、Aは、C銀行から融資を受けるに際し、同日から2025年9月30日までの間にAがBに対して取得する部品代金債権をC銀行のために譲渡したが、この段階ではBへの通知は行われなかった。Bは、2025年7月1日、Aの要請に応じ、返済期限を同年10月1日として800万円をAに貸し付けた(債権②)。 2025年9月1日、AはCに対する残額の支払を怠り、融資契約時のCとの約定に従い、個人信用情報の利用停止を怠った。Cは同日、Aの代理人としてBに債権譲渡を通知し、BがAに対して負う代金債務も今後はCに弁済するよう求めた。 2025年12月1日時点のAのBに対する代金債権は、7月5日発注・同月25日納入分300万円(債権③)、8月5日発注・同月25日納入分400万円(債権④)、9月5日発注・同月25日納入分200万円(債権⑤)である。ただし、9月5日に発注された部品には不適合があり、AがBの求めに応じて10月1日に代替品を納入したが、この際にBのスポーツカーの製造に遅れが生じ、それは、納車が遅れた顧客への対応として準備されたペナルティ100万円に相当するようAに求めている(債権⑥)。なお、債権発生日は共通である。 Bは、Cからの請求に対し、債権譲渡・相殺のいずれの主張をして対抗することができるか。 参考判例 ① 最判昭和50・12・8民集 29巻11号 1864頁 ② 最判平成24・5・28民集 66巻7号 3123頁 解説 1 「債権譲渡と相殺」における弁済期の先後 債権譲渡は、譲渡人と譲受人との間の契約によって行われ、譲渡される債権の債務者のこれに関する与り知らない。しかし、債務者は、自身の与り知らない債権譲渡によって不利益を被るようなことがあってはならないはずである。そこで、債務者は、債権譲渡が対抗要件を備えた時点までに譲渡人に対して生じた事由があれば、これをもって譲受人に対抗することができるとされている(468条1項)。そして民法は、この一般的な抗弁の対抗に関する規定に加えて、相殺に関する規定を別に設けている。すなわち、債務者は、対抗要件具備時より前に譲渡人に対する債権を取得していれば、これを自働債権とし、譲渡された債権を受働債権とする相殺をもって譲受人に対抗することができる (469条1項)。 民法 468条1項の規律は 2017年民法改正の前から存在していたが(旧468条2項参照)、民法 469条1項は新設の条文である。2017年民法改正の前は、「債務者が譲渡人に対して有する債権をもってする相殺を譲受人に対抗しうるのはどのような場合か」という「債権譲渡と相殺」の問題について、「差押えと相殺」の問題 (→本編32) と同様に学説の対立があった。つまり、判例は、債権譲渡の債務者が対抗要件具備された債権の債権者が請求してきた場合、これを待っていた債務者は、この債権とされた債権の弁済期の前後を問わず、債務者は相殺をもって譲受人に対抗しうるとする。これに対して判例は、債権譲渡の債務者が対抗要件より前に自働債権を取得されたというだけでは足りず、自働債権の弁済期が受働債権(譲渡された債権)の弁済期よりも先に到来することが必要であるとしていた。判例は、無制限説と同じ結論に至ったものがあったが (参考判例①)、これは譲渡人が譲渡人の吸収合併であるという特殊な事案についての判例法であって、その射程は広くないとの理解が一般的であった。 2017年民法改正は、「差押えと相殺」に関して、従来の判例・無制限説 (45・6・24民集34巻6号947頁) の立場である無制限説を明文化するに至った (511条)。そして、これと合わせて2017年民法改正では、「債権譲渡と相殺」に関しても無制限説の立場を採用した。すなわち、民法469条1項は自働債権・受働債権の弁済期の先後にはふれず、対抗要件の具備時期を問題とするのみである。 本問で自働債権となるべき債権②をBが取得したのは、Cへの譲渡が債権者対抗要件を備えた時(9月1日)より前の7月1日であり、これは民法469条1項の要件を満たす。そして、債権②の弁済期が10月1日であるのに対し、(代金債務の弁済期は納品40日後なので)債権③は9月3日、債権④は10月4日にそれぞれ弁済期が到来するが、両債権は自働債権と受働債権の弁済期の先後を問わないので、Bは債権③のみならず債権④をも受働債権として相殺権をこれに拠り、これをCに対抗することができる。なお、債務者が対抗要件を備えた9月1日との関係では、債権⑤はかかる発生日はまだ行われておらず、債権②と債権⑤の対立は生じていなかったものと考えられる。しかし、両者の対立はどのような場面で生じ、それは、債務者がCへの相殺の意思表示をする時点(10月以降の制度)で、債権②と債権⑤の両債権をともに対抗する時点である(前述のとおり、債権④は債権②との対立は生じないので、このような場面でBがこれを行うことによってCに対抗できる)。 2 「債務者が履行を拒むことを明確にしたとき」の意義と機能 次に、Bとしては、債権⑥(100万円)の損害賠も自働債権とし、これもCに対抗して譲渡を拒みたいところであろう。しかし、債権⑥は、9月25日に納入された部品の不具合に伴う損害賠償請求権 (564条・415条)であり、債権譲渡の債務者が対抗要件のとき(9月1日)より前に債権を有していたとはいいがたい。そうだとすると、民法469条1項による限り、このような相殺は認められないことになりそうである。 しかし民法は、債務者が対抗要件具備時より後に譲渡人に対する債権を取得した場合であっても、その自働債権が対抗要件具備時より前の原因に基づいて生じたものであれば、なおもこれを自働債権とする相殺をもって譲受人に対抗できる。 を認識するものである (469条2項1号)。これは「差押えと相殺」に関する民法 511条2項と同じ規律である。そこで問題は、ここでいう「前の原因」とは何を指すのであろうか。 2017年民法改正は民法 511条2項および 469条2項1号を設けるに当たって念頭に置かれていたのは、たとえば、委託を受けた保証人が求償権を行使して行う場合について弁済すべきとされた後に、この保証人が保証債務を履行し、主債務者に対して求償権を取得したというケースである。参考判例②は、(当然ではあるものの) 主債務者の債権に保証人が期待した事後求償権は債務者の財産で構成されており、これらの安定性は、このような相殺を差押え・債権譲渡の局面でも可能にするものであると説明されている。つまりここでは、差押え・譲渡より前に存在する保証契約が、自働債権である事後求償権の「前の原因」に当たると考えられているわけである。 本稿では、本問の債権⑥の「前の原因」として考えられるものは何か。候補としては、2022年にAとBとの間で締結された基本契約がありうる。つまり、2025年9月5日に発注された部品の売買はこの基本契約に基づくものであり、⑥債権はこのときの性質について発生したと捉えるのである。仮にこのような理解が成り立つならば、債権⑥は、2025年9月1日の対抗要件具備時よりも「前の原因」である2022年の基本契約に基づいて生じた債権となり、これを自働債権とする相殺をCに対抗しうることになる。 しかし、本問のように相殺するには難しい。まず、①基本契約を⑥の前提と捉えようにも、AとBとの間の基本契約では、当事者の間で、月々の発注がどのように行われるか、個々の発注に対する基本契約における様々なレギュレーションがあり、個々の発注にかかる債権・債務が基本契約から直接派生するとは限らない (→本巻36参照)。債権⑥においては受注生産の約束や品質が定められており、買主がその都度購入する義務を負わされているようであれば、発注・受注が基本契約そのものの義務の履行にすぎないとみて、これにかかる債権・債務の発生原因もこの基本契約に期することも可能であろう。しかし、本問の基本契約ではBに一定数量の購入義務は課せられておらず、Bは譲渡を認識したことも個別の売買契約 (個別契約) が結ばれ、代金債務をはじめとする債権・債務はこの個別契約に基づいて発生したと解するのがより自然であるように思われる。 る。また、⑤の債権についても、売買目的物の契約不適合に基づく損害賠償請求権の「前の原因」としては売買契約があれば足りるのか、それとも目的物の引渡しや不適合の発見まで対抗要件具備時より前にある必要かの点に関して議論の余地があり、単純に「前の原因」を「前の原因」とみることができるのかの定めかではない。 3 同一の契約に基づいて生じた債権間の相殺 2でみたように、債権⑥については、民法 469条2号に基づく相殺をCに対抗することはできないと考えうる。しかし同項2号は、1号に該当しなくても、自働債権と受働債権が同一の契約など対価関係にある場合に、相殺の利益について譲受人に対抗することができるとしており、無制限説の利益要件が満たされたものである。債権発生の基礎となる契約がすでに締結されている場合で、この契約が自働債権の「前の原因」とされて1号の対象になる中で、2号の適用対象となるのは、自働債権・受働債権の発生原因となる契約の締結が対抗要件具備に後れる場合、すなわち将来債権譲渡の場合に限定される。この規定も2017年民法改正で新設されたものであるが、「差押えと相殺」については同様の規定は設けられておらず、「債権譲渡と相殺」に固有のルールとなっている。これは、将来債権譲渡の促進された後も、譲渡人とその間の取引関係を維持・継続するインセンティブを債務者に与えるため、「差押えと相殺」の規律よりもさらに広く債務者の相殺への期待を保護しようとしたものである。このケースでは自働債権と受働債権の発生原因もともに存在しており、両者が牽連関係が認められるため、債務者の相殺期待を保護することに値するといってよいといえる(従って、「差押えと相殺」の局面でもこのような相殺の期待を電話をもって相殺できるという判例がある)。 本稿では、債権⑥と債権⑤はともに9月5日にかかる売買契約に基づいて生じたものであることができる。2で述べたのに対して、2022年に締結された基本契約は、個々の債務の発生・債権の発生原因とはいえないものの、Aの売買契約は、将来継続的取引が対抗要件具備された9月1日より前に締結されている。そして、民法469条2項2号により、Bは債権⑥と債権⑤との相殺をもってCに対抗し、債権⑤の残額100万円についてもCの請求を拒むことができると考える。 ところで、売主に基づいて引き渡された目的物が契約の内容に適合しない場合には、買主はその不適合の程度に応じて代金の減額を請求することができるとされている (563条)。本問でも、9月25日に納入された部品の不具合があったものをBがB銀行として認めず、その分の返金をAに請求している。Bがこれを請求していれば、債権・債務の双方が対立関係になるため、この場合にBが代金の減額を請求できる。しかし、本問でBは代金減額請求権を行使せずに代替品の給付を請求しており、Aはこれに応じている。したがって、ここでBが求める請求はあくまで履行遅滞に基づく損害賠償 (564・415条)であり、代金債務は当初の全額で残ったままで損害賠償請求権との対立が生じるため、相殺の可否がやはり問題となるのである。 4 関連する問題 A・B間で継続的供給契約が締結されていた場合に、Cがこの契約の存在につき善意または重過失であれば、BはCの代金請求を拒むことができる (466条)。しかし、BがCに対して代金を弁済しない場合にも、Cは依然として善意だから相殺期待の経過により、Bは譲渡制限特約をCに主張し得なくなる (同条4項)。また、Aについて破産手続開始の決定があった場合にも、BはCから請求されれば代金の供給義務を負う (466条の3)。これらの場合において、BがAに対して取得し得た債権をもって相殺することができるかどうかについて、自動車の特殊な取得に関する特則が設けられている (469条3項、問題1参照)。 本問の承諾をBからとったCへの債権譲渡をBが承諾していたらどうか。2017年改正民法 468条1項は、債務者が異議をとどめない承諾をした場合には、譲渡人に抗弁し得た事由があってもこれをもって譲受人に対抗することができなくなると規定していた。これによれば、Bの承諾が異議をとどめずになされると、BはCに対して相殺の主張もできないことになる。しかし異議をとどめない承諾の制度はかねてその妥当性が疑問視されていたところ、2017年改正民法はこれを廃止した (旧468条1項は削除され、旧468条2項の規律が1項に繰り上がった)。よって、Bは譲渡を承諾したとしても、相殺の抗弁を放棄する旨の意思表示をしない限り、Cに対する相殺の主張を封じられることはない (関連問題参照)。 【関連問題】 (1) 本問において、A・B間の売買基本契約には、AがBに対する代金債権を譲渡する際にはBの承諾を要する旨の条項があった。CはAから債権譲渡担保の設定を受けた際、この条項の存在を知っていた。Cは、2025年9月1日、Aの代理人としてBに債権譲渡を通知したが、Bはこれに対して譲渡を承諾しなかった。同年10月1日、BはAから債権②の弁済を受けた後、同年12月1日、BはAからの再度の要請に応じ、返済期限を同年12月1日として900万円をAに貸し付けた (債権⑦)。同年11月10日、BはCと協議の上、債権⑤・⑥をCに弁済するようにBに求めたが、期限内 (同年12月1日) ではBには応じないで、Cが改めて債権⑤・⑥・⑦を自分に弁済するよう求めたとき、Bは債務を相殺債権とする相殺をもってこれを拒むことができるか。 (2) 本問において、2025年9月1日、CはAの代理人としてBに債権譲渡を通知するとともに、BがCに対して有していた抗弁を放棄するように求めた。Bは、債権譲渡がすでに押さえられたと誤解し、この求めに応じて、「AのBに対する債権がCに譲渡されたことを承諾し、以後Cに対して相殺など一切の抗弁を主張しません」と記した書面をCに交付した。その後、債権が未だ未済であることに気づいたBは、債権②と債権④・⑤・⑥との相殺をもってCに対抗することができるか。 参考条文 民法230条 (小粥太郎) / Before / After 274頁 (田中田) / 岩川 58頁 (白石 大)

千葉恵美子・潮見佳男・片山直也編者『Law Practice 民法Ⅱ【債権編】〔第5版〕』

債務引受

公開:2025/11/19

大学生のA (20歳) は、東南アジアを旅行し、その文化に興味を抱いた。そして、友人に誘われ、東南アジア諸国から衣類や雑貨を輸入して、それらを販売する店を開いた。その開店資金は、Aがアルバイトで貯めた金員を充てたが、その際、継続的に商品を仕入れるために、Aは、ある消費者金融の金銭を借り入れた。そして、Aの店は、開店以来、経営は順調であったが、円安により商品の仕入れのための経費がかさみ、手もとで使える資金繰りが苦しくなってきた。そこで、Aは、さらにBから金員を借り入れたが、融資から1年半を経過し、店を閉めることにした。Bから受けた融資を合わせ、合計350万円を請求されたAは、返済をすることができないため、父であるCに相談した。Cは、もともとAの開業には反対であったが、Aの将来を考え、AのBに対する借金を肩代わりすることにした。 この事例を前提として、以下の小問の(1)および(2)に答えよ。 (1) Aが、Bに対し、Cが自らの借金を肩代わりする旨を伝えたが、CとBに対して、「自らの子であるAが負った債務について、私が肩代わりします」と告げた。この場合に、Bは、Cに対して、350万円の支払を請求することができるか。 (2) AとB間の金銭消費貸借契約における利息が、利息制限法に違反するものであった場合に、Cは、Bの支払請求に対して、利息制限法に違反する利息の支払を拒むことができるか。 参考判例 ① 大判大正6・11・1民録 23輯 1715頁 ② 最判平成23・9・30 時報 2131号 57頁 最判平成 24・6・29 時報 2160号 20頁 解説 1 債務引受の意義 (1) 2017年民法改正後の債務引受 債務引受とは、広く使われていた文字どおり、ある債務者の債務を他の者 (引受人) が引き受けることをいう。2017年改正民法は、債務引受について明文の規定がおかれていなかったことから、判例および学説は、早くからドイツ民法に倣って、債務引受を認めてきた。そして、債務引受には、3つの類型があると解されてきた。すなわち、①併存的債務引受 (重畳的債務引受)、および、②履行の引受である。 まず、免責的債務引受とは、債務の同一性を変えることなく、従前の債務者から新しい債務者 (引受人) に移転することをいう。これは、債権譲渡に対応して、債務の移転を意味するものである。また、併存的債務引受とは、第三者 (引受人) が従前の債務関係に加入して新たに債務者となり、従前の債務者は債務を免れることなく、その債務と同一の内容の債務を引き受けるものである。そして、引受人に対しては、特定の債務を履行する義務を負わされる。これに対して、免責的債務引受は、引受人が債務者となって従前の債務者に代わり、債務の履行義務を負うため、契約によって定められた債務の履行を引き受けることを意味する (履行引受契約)。すなわち、併存的債務引受を「債務引受」、免責的債務引受を「債務の引受け」の役割として、それぞれ法律上の地位として認める。つまり、「債務の引受け」 (民法) の第1目第1節に「併存的」 免責的債務引受」が置かれている。のみならず、免責的債務引受の規定である民法472条の4の許容性、併存的債務引受の推定規定である民法470条1項の文言も同様の機能を有する。それゆえ、民法における併存的債務引受は基本的にそうである。すなわち、債務者が「自己の債務を他人に弁済してもらう」のが免責的債務引受であり (474条1項)、免責的債務引受と同じく、債務者を特定させずに引受人が債務者と同一の内容の債務を負担し、債務者が自己の債務を免れるものである。もっとも、民法 472条1項の文言を読む限りにおいては、債務の移転(免責的債務引受)は否定されない。しかし、民法の制定過程からは、免責的債務引受が債務を特定承継するものではなく、引受人が新たに債務を負担するものであり(債務負担行為)、併存的債務引受による担保を組み合わせたものであることがうかがえるのである。 (3) 民法改正の理解と評価 2017年改正民法の理解と異なる民法の規律は、実務的には特に不都合はないと思われる。というのも、現実に生起する併存的債務引受を説明するだけであれば、それを債務の特定承継とするか、引受人による新たな債務負担行為に、債務者による原債務の負担を組み合わせたものとするかは、見方の問題とされるにすぎないからである。 しかし、民法改正の趣旨に照らせば、次の3つの問題がある。 第1に、沿革的かつ比較法的な観点からは、併存的債務引受を類型とし、免責的債務引受をその亜種とする法制は、特別のものといってよい。なお、沿革的には、ローマ法において「人的な担保」として否定されていた債務の移転(特定承継)を、まず「債権譲渡」で許容し、「債務引受」を「契約上の地位の移転」と段階的に承認してきた近代法に先行するものである。 第2に、たとえ立法論において、免責的債務引受が債務の特定承継をもたらすものではなく、債務負担行為であると認めても、従来の社会においては、債務の移転(特定承継)が頻繁に行われていたことにも鑑みれば、免責的債務引受を、債務者であるため、債務の移転に伴う債務の移転など、その例も多い。そして、これらの場合にも、併存的債務引受を契機とし、引受人が、原債務者の負う債務と内容が同一の新たな債務を負担する、と説明する方が実態に合するのではないか。しかし、このような説明は、当事者の意思および経済社会の実態からはなれたものである。そうだとすれば、法理論上の説明はともかく、当事者の意思や取引の実態に即した法律構成をとることが望ましいと考える。 2 小問2について一保証の否認 本問では、まず、Cの借金を「肩代わり」することが何であるかで約束されている。そのため、その効力は当事者間における取り決めのみならず、債務者の意思も左右されない。しかし、Aに対して、BはCの借金を肩代わりするため、Aに代わりBに支払うことを、Bを第三者とする契約(337条1項)を成立させている。 問題となるのは、まず、「肩代わり」が併存的債務引受であるか免責的債務引受であるか、あるいは、Cの借金をAに免責させることを意図した同時的・一体的な関係にある。この問題はA・C間の契約の内容によって左右されるが、明確であるかはともかく、Cの借金をAに免責するとの引受契約(第三者のためにする契約、472条3項)であろうか。その結果、「相対的」に債務引受は併存的債務引受であるといえるであろう。AとC間の契約は、Bの債務引受契約 (470条3項) に基づいてCがAの債務を肩代わりし、Bの債務引受契約によってCに対するAの債務を保証するものである。したがって、CがAの債務を保証し、Bに対してCが債務の弁済を求めることを承認した時 (470条3項)、その効力は生じることとなる。具体的には、BがCに対して350万円の支払を請求した時、Bの意思表示が認められ、併存的債務引受として、CのBに対する債務の弁済と引受人の求償の関係は、「連帯」関係になる (判例1条)。 ところで、引受人と従前の債務者とが併存して債務を負担する併存的債務引受 引受は、債権者からすれば、自己の債権のための責任財産の増加を意味する。それゆえ、併存的債務引受は、債務の人的担保として、保証債務者と債務者と同様の機能をする。しかも、併存的債務引受においては、債務者と引受人の債務は相互に独立したものであるため、保証債務におけるような付従性や補充性 (452条・453条)が認められない、より強力な担保であるといえよう。 このように、併存的債務引受の機能は保証と類似するため、CがAの借金を「肩代わり」するという意思が、Aの債務を保証するものであるとも考えられる。しかし、保証契約は書面でしなければ効力を生じない (446条2項)ところ、本問では、書面が作成されていないため、A・C間における保証契約の成立を認定することはできない。半面、安易に併存的債務引受を認めると、保証人を保護するための形式的要件を潜脱することにもなりかねない。そこで、併存的債務引受のうち、保証を目的とするものについては、保証の規定の趣旨を妥当させるべきであるとの主張もされている。しかし、明文の規定なしに、形式的要件の具備 (446条2項) を準用できるかという問題がある。のみならず、併存的債務引受と保証とはその制度趣旨が類似するものの、法制度としては異なるものであり(たとえば、併存的債務引受における債務者を免責する免責的債務引受が認められるが、保証債務の場合には、債務者を免責し、保証債務を付保性によって消滅する)、そもそも保証の規定を併存的債務引受に準用ないし類推適用できるかは、なお慎重な検討を要し、今後の課題である。 3 小問2について一債務者の有する抗弁 併存的債務引受の引受人は、新たに債務を負担する者ではあるが、その債務は債務者が債権者に対して負う債務と同一内容である (470条1項)。それゆえ、引受人は、併存的債務引受の効力が生じた時に債務者が主張することができる抗弁を、債権者に対して主張することができる (471条1項)。その結果、本問のように、利息制限法による利息の軽減も、引受人であるCは、Bに対して主張することができよう。 もっとも、債務者の有する抗弁のなかでも、取消権および解除権は、契約当事者のみが有するものであるため、引受人がこれを行使することはできない。しかし、債務者が債権者に対して取消権または解除権を有するときは、引受人は、その行使によって債務者が債務を免れるべき限度において、債務の履行を拒むことができる (471条2項) とされている。このほか、債務者が相殺権を有するときも、引受人は、相殺権そのものを主張することはできないが、債務者の負担部分の限度において、債務者に対して債務の履行を拒むことができる (470条・439条2項)。 【関連問題】 (1) P (当時5歳) は、未成年者であるQの運営する遊園地に概ねられて死亡した。その後、その示談交渉の場において、Qの父であるRは、Pの遺族であるSに対して、「どんな償いでもさせていただきます」と発言した。そこで、Sは、Qに対して損害賠償を請求するとともに、Rに対しても、Qの損害賠償債務を連帯して負担したとして、同額の支払を請求した。これに対して、Rは、「Qが未成年なので、本人に代わって親として交渉する気持ちであった」と述べ、「Qの損害賠償責任について連帯債務を負うつもりはない」と反論した。この場合に、SのRに対する損害賠償請求は認められるか。 (2) 本問において、仮にRが利息制限法の適用利益を支払っていたため、Bに対して過払金返還請求権を有していたところ、Bが貸金業者を廃業してその有するすべての債権をDに譲渡した。Dは、Bの各債務について一切の引き受けない旨の契約を結んだ。この場合に、Aに対して、DがBの地位に基づいて、過払金返還請求をすることができるか。 参考文献 野澤正充 「債権譲渡ーセカンドステージ債権譲渡 (第3版)」 (日本評論社 2020) 231頁/ 「新「企業の組織再編」 実務の一歩上の地位の移転」 (有斐閣 1999年) (2014) 75頁/潮見・同491頁 (野澤正充)

千葉恵美子・潮見佳男・片山直也編者『Law Practice 民法Ⅱ【債権編】〔第5版〕』

事務管理

公開:2025/11/19

Aが長期の海外旅行に出かけている最中に、台風のためAの自宅の屋根瓦が一部破損してしまった。隣人のBは、Aから「海外旅行の間によろしく頼みます」と聞かされていたので、屋根瓦が破損したのを善意でAの留守中に専門業者に連絡して修理を依頼し、その費用を立て替えて支払った。ところが、帰国して事情を知ったAが「この家は取り壊して建て替えるつもりだったのだから余計なことをしてくれなくてもよかったのに」などというので、Bは腹を立て、修理代金を支払ってもらいたいと思うようになった。 Bは、Aのどのような請求をすることができるか。また、Aの立場からはどうか。 [解 説] 1 合意に基づかない 〈勝手な〉 他人の事務の管理 民法697条以下では、他人のために事務の管理を始めた場合には、その「他人」(以下、「本人」という)の利益や意思を尊重しなければならないとされ、(697条)、その代わり自分で費用を償還できる(702条)等の法律効果を認めている。これを「事務管理」である。 ただしこれは、他人の事務を管理する義務がない場合を前提としている(697条1項)。本問のようにAから「よろしく頼む」といわれてBが屋根瓦の修理を頼んでおくと、それが委任契約に基づく義務の履行として評価されるのであれば、これは事務管理の問題とならない。 もっとも、本問のようにAとBとの間に明確な委任契約に基づく義務の履行としてBがAに修理代金を請求しうる関係については、委任に関する民法648条以下の規定によって処理される。また、AとBとの間に契約関係がなくとも、たとえばAが成年被後見人であるような場合にはBがAの財産を維持すべき義務があるので、やはり事務管理の問題とならない。 ところで、本問のようにAの意思が明確ではない場合には、Aの意思を確認するのが可能である。しかし、Aが海外旅行中で連絡がとれないような「急迫」の事情がある場合には、BはAの意思を確認できなくても、とりあえずはAの利益を図るために屋根の修理をすることも許される。ただし、Aが帰国したときに「自分は家を取り壊す予定であったから、屋根の修理は頼んでいない」とBが善意で管理していても言われるかもしれない。法律行為ではないから、BがAの意思に反して管理しても有効である。法律行為である委任契約の場合と対比してみると面白い。 事務管理は、契約とは異なり、いわゆる法律行為ではない。法律行為であると未成年者取消の適用も射程に入るが、事務管理は事実行為であることから、事務管理の当事者には、当事者の権利や義務は法律の規定(697条以下)に基づいて生じるのであり、当事者の意思に基づくわけではない。 もっとも、たとえば、他人のために事務を管理した者は本人から費用を償還請求する権利がある(702条)。事務管理も義務を管理したBに費用償還請求を認める点で委任契約と共通する。ただし、委任契約と異なって、その他人のためにする意思がなくてもよいというのが通説である。しかし、意思に基づいて事務管理が生じた場合にAからBへの費用償還が生じる場合であっても、Bにとって思わぬ利益が生じるわけではない。むしろ、事務管理の時にBの立て替えた費用が客観的な利益を超えていたとしても、民法702条によって費用を償還請求できるにすぎない。 求する権利が発生するのであるから、事務管理の際に費用を請求しようという意思があったか否かは(法律的には)重要ではない。これに対して裁判所は、客観的にも、当事者の意思に基づいて権利や義務を生じさせる制度であるので、事務管理とは異なるのである。 本問では、当初はBはAに費用の負担を求めるつもりはなかった。しかし、これは重要ではない。BがAに対して債務を免除する旨の意思表示をした(519条)というような事情でもない限り、BはAに対して修理代金を求めることができるのである。 2 事務管理の成立要件 事務管理は上記のような制度なので、これは、ⓐ他人の事務を、ⓑ他人のために行うことが前提となり、また、ⓒ管理したように、ⓓ事務管理をすべき義務なく、さらに民法700条ただし書を参考に、ⓔ本人の意思や利益に明らかに反してはならないとされている。これが事務管理の成立要件である。このうちⓒについては前述したので、残りの要件について検討しよう。 (1) 事務の他人性 本問の場合には、BはAの家の屋根瓦を修理したのであるから、これは元来Aがするべき事務であることは客観的にも明らかである。他方、Bが自分の事務をしたときには(自分の家の修理など)、仮にBが他人の家であると誤信していたとしても、費用の請求などができないことは当然である。さらに、事務それ自体としては他人の事務か自分の事務か客観的には明らかではないときには(たとえば電線の修繕など)、(後で述べるとおり可能であるが)他人のためにする意思があったのかを事務管理の成立を認めてもよいであろう。 なお、本問の場合には破損した屋根瓦の修繕はAの事務である。危険を避けるという意味もあって、この危険回避の義務はBにあるのではなく、Aにあるのであって、Bの事務でもあるといえる。しかし、だからといってAのための事務でなくなるわけではない。 (2) 事務管理意思 客観的には他人の事務であっても、自分の事務と誤信して管理を行った場合には「他人のため」とはいえないので事務管理は成立しない。もっとも、この場合でも、管理者が費用を支出したために本人が利益を得ているのであれば不当利得(703条以下)となる余地はありうる。 ところで、前述したように、本問の場合に破損した屋根瓦がBの家の隣に建っていることからするとBという隣人であったので、この限りでBは自分のために修繕したともいえる。しかし、Bが「Aのため」の意思とAのための結果という側面を重視する。 (3) 本人の意思や利益に明らかに反しないこと 事務管理に当たっては本人の利益や意思を尊重すべきであり(697条)、また本人の意思や利益に反することが明らかであるときは事務管理を継続してはならない(700条ただし書)。したがって、仮にBがAの意思を無視し、本人の意思や利益に反することが明らかであるならばそもそも事務管理は成立しないと解釈されている。 本問の場合、AがBに見積もりを依頼しておきながら予算がなかったので、屋根瓦の修理など「余計なこと」であったかもしれない。しかし、それが客観的に明らかであったのでなければ事務管理は成立する。 3 事務管理の効果 事務管理の効果については民法697条以下に定められているが、本問との関係では特に民法702条が重要である。 (1) 費用償還請求権 民法702条1項によれば、管理者は、本人のために有益な費用を支出したときには費用の償還を求めることができる。Bは、Aに費用の償還を求めることができる。BがCに修理代金を支払ったのなら、それを管理者として償還請求することを認められる。ただし、Aが取り壊す予定であったことをBは「有益」な費用であることを理由に償還請求できるか、この点については後述した。 (2) 代弁済請求権 またBがCに修理代金を未払のままであるなら、民法702条2項に基づいて、Bに代わって修理代金をCに支払うべきことを請求することができる。ただし、事務管理はAとBとの「内部」の問題なので、Cに直接請求することができるかといえば、それはできないと解されている(通説)。BがAを代理する権限を有するわけではない(後述拙稿参照)。 関連問題 本問においてBがC大工に屋根瓦の修理を依頼する際に、「Aから頼まれて、Aの代理人としてお願いする」といって契約をした場合、さらに、また、Bが「自分はAである」として契約をした場合に、CがAに修理代金を請求することは認められるか。 参考文献 平田健治・平成262頁 (米沢出版)

千葉恵美子・潮見佳男・片山直也編者『Law Practice 民法Ⅱ【債権編】〔第5版〕』

不当利得|給付利得

公開:2025/11/19

(1) AはBに対して100万円の債権があったが、債権の額を勘違いして、200万円をBに弁済した。その後、Bはこの200万円を受け取って費消する途上で倒産に襲われ、全財産をすべて清算された。翌日Aは自分の勘違いに気づいた。AはBに対して100万円の返還を請求できるか。 同様に、AはBに100万円の債務があったが、BがAに対して脅迫的な言辞を弄して弁済を強要し、慌てたAが債権額を勘違いしてBに200万円を弁済した。BはAの勘違いに気づいていたがAから弁済受領した後、以上と同様の事件が発生したとき、AはBに何を請求できるのか。 (2) Aは直接Bから地大工(江戸時代の画家)の真筆といわれて、甲絵画を代金2000万円で購入した。契約時には、A・Bともに甲絵画は大量の贋作が出回っていたため、Aは代金を支払い、引渡しを受けた。ところが、Aが後に鑑定を依頼したところ、甲絵画はよくできた贋作で時価100万円程度のものと判明した。AはBに代金2000万円の返還を請求できるか。BはAの請求に対してどのような主張が可能か。 (3) (2)で、Aが甲絵画を鑑定に出す前に、Aの隣家から出火し甲絵画は焼失してしまった。その後に、甲絵画が時価100万円程度の贋作だと判明したときは、AはBに対して代金2000万円の返還を請求できるか。 (4) (2)で、Aが売買契約時に意思無能力だったときは、どう考えるべきか。 (5) 甲絵画は著名な(平安時代の画家)の真筆で時価2000万円だったが、盗賊BがAに時価100万円程度のまがい物だと説明してだまし、Aが購入した後に、(2)と同様の事情で甲絵画が焼失したときは、A・Bは互いに何を請求できるか。 参考判例 ① 最判昭和28・6・16民集7巻6号629頁 ② 最判昭和47・9・7民集26巻7号1327頁 [解 説] 1 非債弁済の不当利得 小問(1)では、Bが弁済受領した200万円のうち100万円はAのBに対する債務の弁済だが、残りの100万円に関しては債務は存在しなかった。だから、Bには100万円を保有する法律上の原因 (債権) がない。その結果、BはAに対して100万円を「弁済者が弁済しない債務の弁済」の不当利得として返還する義務を負う。しかし、BはAから受領した金銭を費消されており、100万円の返還義務を負えば、債務の存在を信じて弁済受領した善意のBは100万円の損害を被ることになる。しかも、100万円の弁済者の原資は、Aの債務の誤認である。したがって、Bは利得の消滅を主張して 〔利得 (100万円) - 利得消滅 (100万円)〕 + 現存利益 (0円) 返還義務を免れることができる (703条)。これが、不当利得の一般原則である民法703条の善意の利得者の返還義務を現存利得とした制度趣旨の由来である。反対に、BがAの100万円の非債弁済に悪意なら、現存利得への返還義務の縮減は主張できないのは当然として、利得 (100万円) の返還に加えて、弁済受領時からの利息の支払義務を負う (704条後段)。悪意の非債弁済の受益者は、一種の不法行為と考えられていたからである。 不当利得の一般原則の民法703条の規定は、非債弁済の不当利得のルールに由来する。かつては、非債弁済の不当利得の返還請求の要件として、①債務の不存在と②債務の存在に関する弁済者の錯誤の証明が要求されていた。しかし、錯誤の証明は、必ずしも容易ではない。そこで、債務の不存在だけを非債弁済の不当利得返還請求権の要件とした上で、弁済者の錯誤の証明責任を転換して、弁済受領者が弁済者に錯誤がなかったことを証明すべきだとされた(705条「債務の存在しないことを知っていたとき」)。同時に、弁済の錯誤に善意の弁済受領者の弁済を保護するという役割を保障するために、弁済受領者の返還義務の範囲を現存利得とした。そのうえで、「債務の不存在」を一般化して「法律上の原因の欠如」とした結果、民法703条のルールが成立した。だから、債務の弁済の場面を不当利得の「返還義務」の源泉を、弁済者の不当利得以外のすべての不当利得の事例で類推的に一般化することまでできず、「利得消滅の抗弁」の成否は個々の不当利得の事例で検討される必要がある。 2 A・B間の売買契約の錯誤の規律 小問(2)では、A・B間の売買契約に関しては、錯誤による取消し (95条1項)、または、移転した目的物の品質への不適合ゆえに契約の解除 (564条・542条)を、AはBに対して主張できる。たしかに、甲絵画の真筆の品質の豊かさは目的物の性状であり、それがAの重要な買い手とみなせる「動機の錯誤」にすぎない可能性もある。しかし、Aの動機は「法律行為の目的及び取引上において重要なものである」(95条1項)。しかも、甲絵画が大量の贋作であることは画家Aの「法律行為の基礎」としており(同項2号)、A・Bともにそのことを前提としていたから、法律行為の基礎として表示されている(同条1項2号)。だから、AはBに対して甲絵画の売買契約の錯誤による取消しを主張できる。さらに、A・B間の売買契約で合意したのは、大量の贋作である甲絵画の制作であり、したがって、甲絵画が贋作なら、Aは売買契約を解除することができる (564条・542条)。 3 契約解除の規律 小問(3)で、AがBに対して錯誤による取消しを主張すれば、A・B間の契約は遡及的に無効となる (121条)。その結果、AはBに対して売買代金2000万円の不当利得の返還を、BはAに対して甲絵画の所有権または不当利得に基づく返還を請求できる。さらに、反対の同時履行の関係は、小問(2)での不当利得が無効・取消しによる原状回復の義務 (後述) の事例であり、その回復には契約の規定が準用されるべきだとされている。つまり、「法律上の原因」の欠如 (703条) に関連して、不当利得返還請求の責任を個別的・多元的に考えるのが類型論の立場である。従来の通説だった法律行為は、不当利得の射程を公平に決め、一元的に不当利得を解決していた。しかし、公平という概念はそれ自体で内容が不明であり、問題解決の方針にはならない。だから、不当利得の問題の解決を個別の方針を、個別の不当利得の事実関係に即して明らかにした上で、類型論に対して、類型論は無効論としての自己の優位性を見出している(拙稿に対しては、→本書巻末【参照】)。 その結果、BはAの2000万円の不当利得の返還義務に対して、甲絵画の返還との同時履行(533条の類推)を主張できると解されている。 (参考判例①②を参照)。AがBとの契約を解除すれば、同じく同時履行の関係を目的とする解除に関する民法546条は民法533条(同時履行の抗弁権)を準用している(ただし、本稿での結論とは異なり、詐欺・強迫による取消しの場合には、詐欺・強迫者、他方から同時履行の関係の主張を排斥すべきだと解する学説もある)。 さらに、AはBに対して2000万円に関して、弁済時からの法定利息 (404条)を、BはAに対して甲絵画の滅失・使用利益返還義務(原状の返還義務を負うから、使用利益も当然に返還義務を負うと解されている)が可能かに関しては、学説は、双務契約の清算では、民法575条が類推されて、相互に返還義務を負わないとする考え方がある。しかし、他方で、契約が無効・取消しとなったときは、給付と反対給付の間の実質的な等価性は期待できず、しかも、使用利益に関しては、物の使用による損耗に価値低下する場面もあるから、代金と元本と給付物を現状で返還するだけで足りず、Aは甲絵画の使用利益を、Bは金銭からの法定利息の返還義務を負うと解する説もある。他方で、契約の解除の効果に関する規定は、「相手方を原状に復させる義務を負う」とし (545条1項)、加えて、利息、使用利益・果実の返還義務を規定するが (同条2項・3項)、無効・取消しの効果に関する民法121条の2第1項は、「原状回復義務」を負うとするにとどめ、使用利益・果実に関しては規定を置いていない。ただし、判例は、目的物の滅失・使用利益は、売主は代金の利息を不当利得として返還する義務があると解するべきであろう。詐欺者、強迫者の保護を認めるべきではないという考え方もありうるが、詐欺・強迫による被害者は不法行為による損害賠償請求権も重ねて行使できる。 4 双務契約の給付された目的物が滅失した場合 ところで、小問(3)では、甲絵画はA・Bの帰責事由 (故意・過失) なく滅失している。結果として、AはBに対して甲絵画の時価相当額100万円の価値償還義務を負うことになる。小問(3)のように、Aの返還に応じるべき相手方が反対給付をいったんは取得したがその後に、相手方の反対給付が滅失するために、自己の反対給出の返還に応じると約束して、相互に給付を交換し、給付の清算をしたとはいえない。この場合AとBとの関係について、民法703条を文言どおり適用すれば、甲絵画は滅失して、Aの現存利益は存在しないから、Bの代金返還に応じることになる。しかし、甲絵画をBからAに現に引き渡せるわけでもなくなった以上、Bから甲絵画の返還の危険を負担させるのは明らかに不公平である。そこで、従来から甲絵画の不当利得は本来非現物債権の不当利得に当たる民法703条を適用せず、原状回復として、甲絵画の価額賠償義務を負う(121条の2第1項は「原状回復義務」)と規定する。目的物の返還義務が不能となったときは、Aは目的物(甲絵画)の評価価値賠償義務を負うと解されている。その結果、小問(3)では、AはBに対して甲絵画の時価100万円の価値賠償義務を、BはAに対して代金2000万円の不当利得返還義務を負い、そのうえで相互の返還請求が同時履行の関係にあるから、差額分を返還せよとAはBから請求され、Bが1900万円の不当利得返還義務を負うこととなる。 5 意思無能力・取消権の保護目的 小問(4)では、甲絵画の売買契約をAはBと締結したが、Aは意思無能力者であるため、法律行為は無効である(3条の2)。だから、Aの意思能力を回復した後にあるいはAの法定代理人が後見されて、A・B間の売買契約時のAの意思無能力を証明すれば、AはBに対して2000万円の代金返還請求できる。他方で、甲絵画はAのもとで滅失しているから、Aの現存利益は存在しない。しかし、民法121条の2第1項を適用すれば、Aは100万円の価値賠償義務を負うことになる。しかし、それでは、意思無能力、つまり、財産上の決定を保護することのできないはずのAに、目的物の滅失の危険を負担させることになり不当であろう。そこで、同条3項は、意思無能力者、制限行為能力者は、現存利益の返還義務を負うと規定している。ただし、小問(4)では、A・Bともに帰責性のない偶然の滅失(隣家からの延焼)による目的物の滅失をいっている。だから、目的物の滅失は、Aの意思無能力とは無関係であり、意思無能力による判断を歪めた当事者の選択とは、Aの利益の回復を認めることとは解する余地もないのではないか。しかし、たとえ、Aは意思無能力による判断能力の欠如で、甲絵画を損傷したときも、Aは損害賠償義務を負わない。すると、偶発的な滅失の危険も、取引相手方が負担するのが、民法3条の2の保護目的にかなうと考えるべきであろう。だから、結論として、小問(4)では、Aは甲絵画の価値賠償義務を負担せず、Bに対して2000万円の不当利得返還請求が可能と解すべきであろう。 6 不当利得法以外のルールの適用 小問(5)では、民法121条の2第1項を適用すると、Aは2000万円の価額賠償義務を、Bは代金100万円の不当利得返還義務を負うことになる。しかし、この結果は、明らかに不公平である。もちろん、ここで錯誤無効の修正を不当利得の枠内で守ることも不可能ではない。たとえば、民法703条の趣旨の拡張である善意の受益者の保護(現存利益の返還義務)を、A・B間の売買契約の錯誤の取消しにより不当利得であることにBが善意であることを理由に、AがBに100万円で甲絵画を自己の所有物として保存できると信じていたことに対して、Aの返還義務をAの給付100万円に制限し、それ以上の返還義務〔1900万円〕を利得消滅したと解するなどの考え方もある。 Bの故意に対して考えられる。そうすると、出発点としては、民法121条の2第1項が適用され、Aは2000万円の価値賠償義務を、Bは100万円の不当利得返還義務を負うが、AはBの返還義務に、ないしは、契約の締結上の過失を根拠にして、1900万円の損害賠償請求が可能であると考えるのが妥当であろう。結論として、Aは100万円の限度で目的物の滅失の危険を負担することになる。 もちろん、上記の非債弁済の目的受領の目的物の滅失の危険の自己の責任の原則への回帰は、契約が無効・取消しとなった場合の契約の精算も、可能な限り不当利得の規定の類型によって行おうという方向性と一環である。それに対して、契約解除は、契約の締結上の過失による損害賠償による調整は、不当利得を財貨移転の清算のニュートラルなルールと位置づけたうえで、不当利得以外の規定の適用によって問題を解決しようという方向性である。 関連問題 (1) 本問の小問(1)で、Bが不法行為または故意によって、時価100万円の贋作を地大工の真筆であると信じさせて高額な契約を締結したとき、小問(2)で、BがAに代金2000万円の返還請求に対して、甲絵画の返還との同時履行を主張できるか。小問(3)では、Bは100万円の価値賠償債務をAに対して負うべきか。小問(2)で、Bが自己に帰責事由なくAの隣家からの火災で甲絵画が滅失したとき、Aが自己の不注意で、甲絵画の鑑定を依頼したときに、BはAに対して100万円の価値賠償の請求が可能か。

千葉恵美子・潮見佳男・片山直也編者『Law Practice 民法Ⅱ【債権編】〔第5版〕』

不当利得|侵害利得

公開:2025/11/19

(1) 製紙会社Aの従業員Bは、Aの工場から市場価格500万円の製紙原料を窃取し、翌日に原料を特殊物品の販売業者Cに200万円で売却した。その1ヶ月後に、Cは製紙原料をDに500万円で売却し、Dはこれを利用して自分の材料も加えて紙製品を製造した(製品の時価は、1500万円)。Aは、Bに対して500万円の不当利得返還請求ができるか。さらに、Aは、善意・無過失のCに対して製紙原料の市場価格500万円を不当利得として返還請求できるか。Cが製紙原料をBの所有物と考えていたことに、善意だが過失があったときはどうか。 (2) AはDに対して500万円の不当利得返還請求ができるか。 (3) 小問(1)で、CのDへの売却代金が700万円だった場合に、AはCに対して700万円の返還請求ができるか。 参考判例 ① 大判昭和12・7・3民集16巻1089頁 ② 最判昭和26・11・27民集5巻13号775頁 ③ 最判平成12・6・27民集54巻5号1737頁 ④ 最判平成7・12・19民録24輯2367頁 [解 説] 1 AのBに対する請求 本問では、Aの動産(製紙原料)はBに窃取されている。だから、Cが動産をDに転売していなければ、Aは窃取から2年間はCに対して現物返還の請求が可能だった(民法193条)。その結果、最初はAのBに対する不法行為に基づく損害賠償を肯定していたが (大判明治43・6・9刑録16巻1125頁(注:後) 後に判例変更して、Cに対して現物返還の請求は認められるには「損害」はなく、Bの不法行為は成立しないとしている(大判昭和13・7・11判決全集6輯10号6頁[原審])。大判大正15・5・28民集5巻6号(土地))。そうすると、AのBに損害賠re償請求の根拠を認めるか、③XはAに対して報酬債権を有するがため、Yに対して不当利得返還請求をしないのが契約の原則であるが、Aが無資力のため報酬債権が無価値であることは、その限度においてYの利得はXの犠牲および負担において生じたものであることを考慮すると、甲の修理費用はAが負担するという特約がA・Y間にあったとしても、Xは、Aに対する報酬債権が無価値である限度において、Yの利得を返還請求できるものと解する、と判示して、原判決を破棄し差し戻した。 以上からすると、参考判例①は、Yの利益獲得につき有償・無償の区別を前提とせず (すなわち有償性を捨象せず)、Xの損失とYの利得との間には直接の因果関係があることを前提に(前述①)、Xの報酬債権が無価値である限度において、XのYに対する転用物訴権を肯定したとみえる(前述②)。 2 AのCに対する不当利得返還請求 本問では、CはBに動産を転売しているから、AのCに対する動産の回復請求は不可能となっている。さらに、CがBに動産の占有を善意に取得したことによる損害のてん補の問題(709条)も成立しない。ただし、参考判例①は、Aの従業員BがAのブドウを窃取して、同様の物品の販売業者Cに転売し、CがDに転売しDが費消したというケースである。ただし、その前提に、まずBがそれらの内、Cの返還義務の範囲である。すなわち、BにはDへの動産の売却で500万円を利得しているので、Bに500万円200円を支払って、だから (動産を占有管理権があれば、民法193条で確定的に所有権を取得したはずの) 善意・無過失なければ、民法192条で確定的に所有権を取得したはずの) 善意・無過失そうすると、類型論の学説は、AのCに対する物権的請求に対して、CはBC間の積極的信頼を優先できないはずだから、占有離脱の物権が適当な解決には至らない。さらに、類型論はXは有効な取引行為の占有者(後述若しくは公の信憑において、又はYから甲建物の鍵を預かる購入者から、善意で買い受けたときに、占有者は有効に成立した社会の価値判断が可能であると規定している。だから、占有離脱の可能性は、占有者の優先、公の信憑、同様の類型を異にするから動産を買い受けた場合に限られる。そうすると、両者の利益が競合したら、盗人から盗品を買い受けたのは、たとえ善意・無過失でも、B(買主)に支払った代金の対価弁償(代金弁償)の請求はできないというのである。ただし、以上はAのCに対する財産権の主張が可能な場合であり、他方で、善意・無過失のCのDに転売したとき、つまり、AがCに対して不当利得返還請求するときは、CはAに対して対価利益が可能だと考える余地もある。そうだとすると、所有者の占有離脱の請求が可能だと考える余地もあり、不当利得返還請求のときも、動産が占有離脱物でなければ民法192条によって確定的に所有権を取得したはずの善意・無過失の第三者Cは、対価利益という形での安全が拡大されたことになる。 3 不当利得の類型論 不当利得の類型は、不当利得以外の法制度が挫折した場合、たとえば、本問のように、動産はDの下で加工され新奇になっているから、所有権に基づく動産の回復請求は不能で、しかも、Cが善意・無過失であれば不法行為損害賠償請求権も成立しないときに、所有権の保護を補完するのが不当利得だという考え方である。そこで、類型論は、個々の不当利得返還請求の性質を、挫折した法制度、つまり、具体的な法律上の原因の欠如の類型に即して具体化する。だから、類型論は、不当利得返還請求の当事者の利益を、不当利得以外の法制度との整合的・目的に応える一種の補助線であり、多論である。その結果、類型論は、価値の移転・契約の拘束力などによって価値の移転、債権の移転などの一方の給付の類型、費用・政策された他方の利益、以上について一体とみなし、広義の所有権を補完する制度(他人の財産から受けた利益の返還、他人の労働の対価を避けて利得を回避させ財産としてのものを有する者(479条)に対する利得請求権を認め返還請求権、知的財産権の侵害など)、債務管理を補完する「支出不当利得」(他人の債務の弁済による「求償利得」他人の物への費用支出による「費用利得」)に、不当利得を区別している(さらに、三当事者ではなく、3人以上の間で利用が移動する場合を、「対象三者関係」として区別している)。そこから、本問でのAのCに対する動産権の回復請求は、侵害利得であり、AのCに対する動産の回復請求を補完するものだと考える。 4 AのCに対する不当利得返還請求 本問は異なり、Bが動産を加工せず、動産が現物でDの占有下にあったときは、AはDに対して回復請求が可能だが、善意・無過失のBからCに支払った代金500万円の対価弁償をAに対して請求できる(194条)。本問では、DはBから500万円の動産を加工して1500万円の新物品、つまり、「新物」にしているから、動産の所有権を取得している(246条)。ただし、加工によって損失を受けた者はDは、不当利得の規定(703条・704条)に従い、所有権を取得した者(D)に対して償還請求が可能である(248条)。もっとも、本問では、Aの善意・無過失のCのDへの市場価格500万円を不当利得として返還請求できるかは、CがDに転売した500万円の不当利得をAに代位行使として返還できるはずである。だから、本問では、結論として、AのDに対する不当利得返還請求には意味がなく、それでは、後でCがDに500万円で動産を売却していたときは、Aは動産の市場価格(500万円) - 代償弁償(300万円) = 差額(200万円)をDに対して現物返還の請求ができるのか。AのDに対する差額のDに対して現物返還の場合と同様だと考えると、AはDに500万円の請求が可能だと考えること。しかし、参考判例③は、民法194条の回復請求権の存在を前提として成立し、回復請求に代わる不当利得返還請求も同様であるとして、動産の占有権によって取得したDに対する回復請求のみならず、差額の不当利得返還請求を斥けて差額を支持した。AのCを総合すると、ここでは、現物返還が不合理、既存の所有者がAに不当利得返還請求するときは、善意・無過失の占有者からの取引の安全を大きく害することになる。 加えて、判例(参考判例③)は、BがAから窃取した自動登録機に他人の動産を販売する商人Cに売却し、無償のDに機械を転売し、Dがこれを使用して印刷物の複製、および、CのDから古物商からAへの返還でDが機械を使用していた間の使用利益(賃料相当)を不当利得返還請求したケースで、Dは機械をAに返還する必要があるが、使用利益の返還の必要はないと判示している。もちろん、善意の占有者Dは、Aから訴えを提起されても係属する訴訟は、費消の使用利益の返還の必要はない(189条1項)。ここでは、動産は占有離脱物だが、民法192条ではなく民法194条のDに対する代価賠償はDは、民法189条以下の規定は、占有離脱物を前提によって取得した善意の第三者に対して、果実・使用利益の返還義務を免除し(189条1項)、損害賠償義務も負わない(191条)という形で、所有権取得には至らないが、物の使用利益の安定の要請が第二者の場合に限って、第三者が占有者Dから動産の返還請求を訴えたときは、訴訟係属後に与えられたものの占有者からみされる(189条2項)。だから、民法189条2項の規定を文言どおり適用すれば、Dは訴訟係属後の使用利益の返還の必要があるが、ところが、参考判例③は、①被害者はAに回復請求する、回復をためらうかどうか。の選択肢があるが、Aの選択によって使用利益の返還義務の有無が決まるのは、民法194条の目的である善意の占有者の保護と占有物との間の投下資本を安定させる、代金弁償にはほぼ合致しないこととの均衡上、占有者の利益、両者の利益を比較衡量して、善意・無過失の占有離脱物の転得者でも、使用利益の返還を認めている。だから、CがDに300万円で動産を売却していたときに、AのCに対する200万円の侵害利得の請求を認めるか否かは、AのCに対する請求権のあり方(対価利益)の問題として、判じ・学説の方向性にかかっていると考えるべきであろう。 5 CのDへの利益 小問(3)では、CはDに対して動産の時価500万円と高額な700万円で動産を売却している。ただし、Cに故意・過失があっても、Aの不法行為による損害賠償は、Aの損害のみの填補が目的だから、賠償額は時価500万円である。Aの不法行為返還請求も、侵害利得はCのDへの転売でもAの損失の補填が目的だから、Aの損失の補填の範囲である500万円でも、侵害利得(不当利得)が効果はAに最終的に帰属した客観的価値(市場価値)の客観性である。以上の基礎となると、市場価値500万円以上の200万円は、侵害利得ではなく投機的に得た有利の機会にすぎなく、このてん補・予防を治療するという評価できる。 ただし、Cが故意にAの動産を処分して高額の売却益を取得したときは、不法行為の予防的効果を認めることが公平に合致するとする考え方もある。その結果、判例は、不法行為とは別に、不当利得請求権をAは行使できると考える。その結果、判例はAは行使できる物権の追及権から派生する、物の所有権に付着する人格権から、他人に物を管理させる意思(697条1項「他人のために」には事務を管理する意思)、不当利得の事務についてAの事務を事務管理(不法行為・666条)を前提に、事務管理の事務を事務管理するという意思(参考判例①)。ただし、学説は事務管理を支持するものの②は存在(参考判例①)、ただし、学説は事務管理を支持する。 ものは必ずしも多くはない。他方で、不法行為の効果も、損害のてん補のはずである。しかし、故意の不法行為では、損害額を慰謝料額に評価して、加害者の利益を相殺すると考えるという説が、特に、侵害はあっても発生が困難で必ずしも賠償が確保されるとは限らない知的財産権の分野で有力に主張されている。現に、たとえば、特許法102条2項は、特許権者の損害額を侵害・過失による侵害者の利益の額と推定している。ただし、以上の知的財産権の侵害での損害額を、不法行為の分野にも一般化できるかは問題である。もっとも、この2つの具体的な処分は客観的処分(相当額)と推定されるべきであろう。この理は処分された物の一般的な客観的な処分ないし代替的な特定物の処分の客観的な処分の場合には特に妥当する。つまり、処分益は客観的価値の算定の出発点であり、損失者が処分価格が客観的価値より安価と考えるときは損失者が、利得者が処分価格が客観的価値より高価と考えるときは利得者が、客観的価値の証明責任を負担することになる。 関連問題 Aが死亡し、Aの子B・Cが2分の1ずつの遺産を相続した。AにはDに対して200万円の現金債権があったが、BはDから200万円全額の弁済を受けた。CはDに対して100万円の弁済を請求できるか。さらに、CがDに請求せず、Bに対して100万円を不当利得として返還請求することは可能か (最判平成17・9・11判時1911号97頁を参照)。 参考文献 好美清光・判例387号 (1979) 22頁 / 沖野都・民数219号(1998) 58頁 / 窪田充見「新注釈民法(16)有斐閣(2017)」126頁・195頁(藤原正則) (藤原正則)

千葉恵美子・潮見佳男・片山直也編者『Law Practice 民法Ⅱ【債権編】〔第5版〕』

不当利得|転用物訴権

公開:2025/11/19

賃借権にある本件ビルの所有者Aは、敷金なし、賃料月額80万円、期間3年とする賃貸借契約をXと締結した。この賃貸借契約においては、敷金なしなため賃料月額を約2割安く設定するかわりに、修理・改築の費用はXが全部負担することとされていた。 本件ビルは築40年のため老朽化がひどく、畳と障子は一部雨漏りも見受けられた。しかし、Aは、Yから本件ビルを安く譲り受けて、本件ビルを最新デザインの商業ビルに生まれ変わらせたうえで、本件ビル内で飲食店・衣料品店を経営することにより、多額の収入を得ることを計画した。そこで、Aは、建物修理・内装工事の専門業者Xに本件ビルの修理・改築工事を3000万円で依頼し、承諾、Yは、この工事を完了し、Aに本件ビルを引渡した。 ところが、Aは、当初の計画どおりにビルの収入を得ることができず、Xに報酬を支払うことができないままであった。その際、Aは行方不明となり、XのAに対する報酬債権は回収不能となった。 Yは、賃料不払を理由にAとの賃貸借契約を解除する意思表示をしたが本件ビルの明渡請求を求める訴訟を提起し勝訴判決を得て、この判決は確定した。 現在、本件ビルはYが占有しており、本件ビルの価格はXによる修理・改築工事によって3000万円上昇している。 以上の場合において、XはYに対して増額相当額3000万円を請求することができるか。Yからの反論に留意しながら、理由を付して論じなさい。 参考判例 ① 最判昭和45・7・16民集24巻7号909頁 ② 最判平成7・9・19民集49巻8号2805頁 [解 説] 1 転用物訴権の意義と経緯 契約に基づいて給付が行われたが、この給付が契約の相手方だけでなく第三者の利益にもなった場合に、給付者はその第三者に対して利益の返還を請求する権利を有する。この権利を転用物訴権という。 学説は、複雑な問題を指摘しながら、この転用物訴権を広く認めようと考える参考判例を大いに批判した。その後、参考判例②は、学説による批判を受け入れ、有償事例において転用物訴権を否定するに至る(学説の多くはこの参考判例②が参考判例①を実質的に変更したと評価しているが、異論もある)。また、現在の不当利得法の通説である類型論は、転用物訴権に対して否定的な立場に立つ。 以下では、転用物訴権の成否について判例・学説を踏まえながら検討していくことにしよう。 (1) 転用物訴権を最初に認めた参考判例①とその問題点 Y所有の甲(ブルドーザー)を賃借していたAは、Xに甲の修理を依頼した。Xは、修理を完了しAに甲を引き渡したが、Aが倒産したためY所有の甲に関する報酬債権をAから回収することができなくなった。これに対して、YはAから甲を取り戻して転売し利益を得た。そこで、Xは、不当利得を理由にYに対して甲修理に関する報酬相当額を請求した。ただし、A・Yの賃貸借契約においては、Xの賃料を相場より安くする代わりに甲の修理費用はAが負担するという特約があった (この特約が最初に事実認定された参考判例①の忘れてはならない点である)。 第1審・原審は、Xの損失はAが倒産したことによる報酬債権不履行に基づくものであって、Xの損失とYの利得との間に因果関係は認められないが、Xの損失とYの利得との間に間接的な因果関係を認め、Xの請求を棄却した。 参考判例①は、Yの修理に要した費用および労務に相当する損失がXに生じた一方で、これに相当する利得がYに生じたため、Xの損失とYの利得の間には直接の因果関係があった、③XはAに対して報酬債権を有するがため、Yに対して不当利得返還請求をしないのが契約の原則であるが、Aが無資力のため報酬債権が無価値であることは、その限度においてYの利得はXの犠牲および負担において生じたものであることを考慮すると、甲の修理費用はAが負担するという特約がA・Y間にあったとしても、Xは、Aに対する報酬債権が無価値である限度において、Yの利得を返還請求できるものと解する、と判示して、原判決を破棄し差し戻した。 以上からすると、参考判例①は、Yの利益獲得につき有償・無償の区別を前提とせず (すなわち有償性を捨象せず)、Xの損失とYの利得との間には直接の因果関係があることを前提に(前述①)、Xの報酬債権が無価値である限度において、XのYに対する転用物訴権を肯定したとみえる(前述②)。 (2) 学説の反応 (参考判例①の問題点) このように転用物訴権を広く認めたとみえる参考判例①を、多くの学説が批判した。たとえば、転用物訴権の否定説は、契約の効力は契約の当事者の間にしか及ばないのが原則であり、その結果の財貨の移転リスクを負担するのはXである、また、その結果契約外のYが利益を得ようと、Yの財貨取得が契約全体からみて正当と認められる場合(以下、「有償事例」という)に無償で認められる場合(以下、「無償事例」という)などに分け、有償事例では、Yは利益獲得のために対価を支払っているから、Xに転用物訴権を認めるとYは二重に負担となってしまうのに対して、無償事例では、無償で取得したYはXの犠牲を優先すべきであるから、この無償事例に限ってXに転用物訴権を認めるべきである、と判示した。 その後、参考判例②は、類型的な発想からか、有償事例においてはこの転用物訴権を否定するに至る。 (3) 参考判例の内容と参考判例①との関係 Y所有のビルを賃借していたAは、Xにビルの修理・改築を依頼した。Xは、修理・改築を完了しAに甲を引き渡したが、甲修理・改築に関する報酬債権をAから回収できず事実上倒産した(その後行方不明)。これに対して、YはAから修理・改築された甲を取り戻した。そこで、Xは、不当利得を理由にYに対して修理・改築に関する報酬相当額を請求した。ただし、A・Yの賃貸借契約においては、Xの賃料支払免除をする代わりに甲の修理・改築費用はAが少額負担するという特約があった。 原審は、Y調査審は報酬を支払っていないXに損失がないとして、Xの請求を棄却した。 参考判例②は、Aが無資力のためこの報酬債権が無価値である場合において、Yが法律上の原因なくXの財産および労務に相当する利益を受けたとみるのは、A・Y間の賃貸借契約を全体として、Yが利得を無償で受けたときに限られる、と判示する。なぜなら、Xの賃貸借契約において利益に対応する負担をしたときは、Yの利益は法律上の原因に基づくものであり、XがYにこの利益につき不当利得返還請求をするのはYに二重の負担を強いる結果となるからである。したがって、Yの利益はAの賃料支払免除の負担という負担に対応し、Yが法律上の原因なく利益を受けたとはいえない、と判示した。 以上からすると、参考判例②は、特定物育成説を(必ずしも完全な形ではないが)受け入れ、Yの利益獲得には、Yの利益獲得に法律上の原因があることおよびYの二重負担を回避すべきことを根拠として、XのYに対する転用物訴権を否定したとみえる。 (2) 参考判例②との関係 参考判例②が転用物訴権を不当に広く認めたようにみえることから(前述2(1)②)、多くの学説は参考判例②を実質的に判例(参考判例①)を変更したと評価している。しかし、この判例変更の評価には、次の3つの理由から疑問がある。 第1に、参考判例①は、Xの損失とYの利得の因果関係を否定した原判決を破棄したにすぎないから、参考判例①の先例的価値は、破棄の直接の対象にある主要な判断部分、すなわち、Xの損失とYの利得との間に直接の因果関係ありとする判断部分 (前述2(1)①) にとどまること。これに対して、参考判例②は、Xの損失とYの利得との間に因果関係なしと判示しているわけではない。第2に、XのYへの利得がXの損失により生じた(つまり、Yの利得がXの犠牲および負担により生じた)のは参考判例①の忘れてはならない点であり、参考判例②は、必ずしも有償事例を無償で取得したものではない。これに対して、参考判例②は、有償事例を前提としている。第3に、最高裁が大法廷を開き先例とは異なる判断を示す場合は大法廷での判断を前提とする(判例変更手続)。したがって、参考判例①は、有償・無償の区別を前提とせず(有償性を捨象せず)、Xの損失とYの利得との間に直接の因果関係ありと判示したにとどまるから、参考判例②は、参考判例①を形式的にも実質的にも変更しないと評価できる。 (4) 参考判例での問題点と公平説 参考判例②の結論は支持されるべきであるが、無償事例で転用物訴権を肯定するその理論的構成には、検討の余地があろう。すなわち、参考判例②は、無償事例においては、Xの利益獲得に法律上の原因がなくYに二重に負担することもないから、Xの転用物訴権を肯定するものとみえる。しかし、この公平無償説によると、無償事例において、Yが当該財産を売却するなど、客観的価値を主張できる。また、Aに無償のリスクを負担するのはXとAとの間の契約で解決すべき問題であり、Xの無償リスクを肯定することはAとの間の契約でその取得の対価関係がなかったことによるものである。次に、Yの利益獲得には法律上の原因あり、その結果、無償事例においても、民法703条の要件(法律上の原因の欠如要件)は満たされず、転用物訴権は否定されるべきである。すなわち、「法律上の原因の欠如」というための根拠が明らかでない。 (2) 公平説に基づく参考判例① ところが、参考判例①は、これら2つの問題点があるにもかかわらず、あえて無償事例においてXの転用物訴権を肯定しようとする。この理由としては、かつて不当利得法における通説でありかつ最近の判例が採用する公平説が考えられる。 この公平説は、「結果的に」一般的には正当視せられる財産的価値の移動が実質的に相応的には正当視せられない場合に、公平の理想に従ってその矛盾の調整を試みんとすることが不当利得の本質である、と主張する。また、公平説の中でもとりわけ当事者の利益の考慮を重視する説によって当事者の範囲を決定するという、このような公平説によれば、XとYを比較してXのほうが保護に値するときは、たとえ前述の2つの問題があったとしても、Xに転用物訴権を認めることができよう。 以上からすると、参考判例①は、XがAの無資力により修理等に関する報酬債権を回収できなくなったのに対して、YがXの修理等による利益を無償で得たときは、公平説に基づき、Xの報酬債権が無価値である限度において、Xの保護を重視しXの転用物訴権を肯定する、という一般論を述べたといえよう。 (3) 公平説の問題点 しかし、参考判例②が公平説を採用したとしても、後述の2つの問題点を克服できるわけではない。また、もし公平説に立ったとしても、そもそもXのほうが保護に値するといえるのか。(1)で述べたように、本来ならばAの無償リスクを負担すべきはX自身である。それにもかかわらず、偶然にXのAに対する給付が無償で第三者の利益になったことを理由に、Xのほうが保護されて良いのか。さらに、Yの利益取得という行為に違法性があるわけでもなく、むしろAとの合意という法律上の原因がある。以上からすると、XとYを比較した場合、Yの利益取得が無償であったとしても、Xの転用物訴権の肯定は、Xに対する過度な保護といわざるを得ないであろう。したがって、公平説に立ったとしても、転用物訴権は否定されるべきという結論になる。 関連問題 Xは、父親から相続した広大な土地甲とその上に建てられた建物乙(甲と乙を合わせて、以下、「本件不動産」という)を所有していたが、本件不動産は郊外にあるため、長い間放置したままであった。 ところが、Xは、近時本件不動産に住むようと考え、本件不動産の修理・改装を始めた。 イノシシの庭を荒らすため、本件不動産と隣人Yが所有する不動産の間には、Xの父とYの2人で建てた見事な塀があったが、Y所有の塀との間は一部朽ちていることは明らかだった。 Xは、維持・保存のためその塀を塗装したが、長年住んでいなかったために、Yとの境界がわからず、Yの塀まで塗装してしまった。 Yの塀の塗装費用は、ペンキ・労務を合わせて30万円であった。 以上の場合において、XはYに対して塗装費用相当額30万円を請求することができるか。Yが自己所有部分の塀を塗装する予定があった場合とそうでない場合とに区別したうえで、Yからの反論に留意し、理由を付して論じなさい(裁判例の分析)。 参考文献 松岡久和・百選Ⅰ 150頁 / 加藤雅信・百選Ⅱ(第6版)(2009)148頁 / 田中豊・最高裁判例平成7年度(下)900頁 / 潮見佳男「基本講義債権各論Ⅰ契約法・事務管理・不当利得(第4版)新世社(2022)」332頁・371頁・383頁 (油給第一)

千葉恵美子・潮見佳男・片山直也編者『Law Practice 民法Ⅱ【債権編】〔第5版〕』

不法行為の成立要件|権利侵害

公開:2025/11/19

Aは、2024年12月10日、東京都内にある自己所有の土地に、鉄筋コンクリート造り陸屋根3階建ての建物(以下では「本件建物」という)を代金3000万円で建築する請負契約をYとの間で締結し、その設計および工事監理をY’に委託した。Yは本件建物完成後、Aは、その引渡しを受け、しばらくの間そこで居住していたが、2025年12月頃、勤務先会社から突然札幌への転勤を命じられ、長期にわたり単身赴任が見込まれたことから、新築の早い本件建物を手放すことに決めた。そして、Aは、2026年2月10日、Xとの間で、本件建物およびその敷地をそれぞれ代金2000万円と3000万円で売却する旨の契約を締結した。この契約に基づき、Xは、同年3月20日、本件建物およびその敷地の引渡しを受けた。 ところが、Xが引渡しを受けた後しばらく経って、本件建物に多数の瑕疵があることが判明した。その瑕疵は、建物の外観をただちに危うくするほどのものではなかったが、天井・床・壁のひび割れ、はりの傾斜、鉄筋量の不足、バルコニーの手すりのぐらつき、排水管の亀裂など、多数箇所にわたっており、すべて補修を要するものであった。 そこで、Xは、2028年12月、YおよびY’に対し、上記の瑕疵について修補費用相当額の賠償を求めて訴えを提起した。このXの請求は認められるか。 [参考判例] ① 最判平成19・7・6民集61巻5号1769頁 ② 最判平成23・7・21判時2129号36頁 [解説] 1. はじめに 本問では、建物取得者が、建物の設計者・施工者・工事監理者(以下では単に「設計・施工者」という)であるYおよびY’に対し、本件建物の瑕疵について修補費用相当額の損害賠償請求をすることができるかどうかが問題となっている。 前提として、Yは、本件建物の売主であるAに対し、売買契約に基づく責任を追及することも可能である。すなわち、本件建物に多数の瑕疵があることから、引き渡された目的物の品質が契約の内容に適合しないものとして、追完請求(562条)、代金減額請求(563条)、損害賠償請求(415条)または解除権の行使(541条・542条)が認められる可能性がある。ところが、通知義務による失権(566条)やAの無資力といった事情により、Aに対する責任追及が実質上不可能な場合もある。このとき、Xとしては、Yを相手方として請求していくほかないが、X-Y間に契約関係が存在しないため、不法行為(709条)を請求の根拠とすることになる。 この問題については、本問とほぼ同じ事案に関する最高裁判決(参考判例①およびその後の民法改正までを参考判例②)によって一応の解決が与えられており、そこでは、建物の設計・施工者は不法行為により修補費用の賠償義務を負うことが認められている。しかし、この責任をどのようにして正当化するかということについては、なお検討すべき点がないわけではない。このような事情から、以下では、参考判例の立場を説明したうえで、それを出発点として検討を進める。 2. 判例 (1) 建物としての基本的安全性を損なう瑕疵についての不法行為責任の肯定 参考判例①は、次のように判示して、直接の契約関係にない建物取得者との関係で、建物の設計・施工者に不法行為責任が成立する可能性を認めた。すなわち、建物は、建物利用者や隣人、通行人等(以下では「居住者等」という)の生命・身体・財産を危険にさらすことがないような安全性を備えていなければならず、このような安全性は建物としての基本的な安全性というべきである。そうすると、建物の建築に携わる設計・施工者は、建物の建築に当たり、契約関係にない居住者等に対する関係でも、当該建物に建物としての基本的な安全性が欠けることがないように配慮すべき注意義務を負う。そして、設計・施工者がこの義務を怠ったために建築された建物に建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵があり、それにより居住者等の生命・身体・財産が侵害された場合には、設計・施工者は、特段の事情のない限り、これによって生じた損害について不法行為による賠償責任を負う。 そして、参考判例①によれば、建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵とは、居住者等の生命・身体・財産を危険にさらすような瑕疵をいい、建物の瑕疵が、居住者等の生命・身体・財産に対する現実的な危険をもたらしている場合に限らず、これを放置すればいずれは居住者等の生命・身体・財産に対する危険が現実化することになる場合を含む。具体的には、建物の構造耐力にかかわる瑕疵のほか、建物の利用者の身体の安全にかかわる瑕疵があるときには、建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵があるとされる。 これが、建物の瑕疵が居住者の居住環境の快適さを損なうにとどまる瑕疵はこれに当たらないとされている。 これによると、本問のような瑕疵(バルコニーの瑕疵により建物利用者が転落して人身被害が生じたり、漏水が生じたりして建物としての基本的な財産が毀損されたりする危険がある)から、建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵に当たる。また、瑕疵がただちに建物の外観を危うくするまでにはいたらないとしても、そのことは不法行為の成立を妨げるものではない。 (2) 修繕費用額の賠償の肯定 以上を前提として、参考判例①によれば、建物取得者は、自らが取得した建物に建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵がある場合に、特段の事情がない限り、設計・施工者に対し、当該瑕疵の修補費用相当額の損害賠償を請求することができる。この場合、修補費用を現に支出ししていなくても、建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵があることにより、修補費用相当額の損害が生じていると考えられるのである。 以上によれば、Y、Y’に注意義務違反があることとなる。 (3) 不法行為の成立要件との関係 裁判例においては、民法709条の各要件が明示的に認定されないことも多く、このことは参考判例でも当てはまる。そこで、上記の参考判例の立場を、同条の要件との関係でどのように理解することができるかということを、次に検討しておきたい。本案では関係ないのであるが、その後の要件(故意・過失、因果関係、損害)について順次検討する。 (1) 権利・利益侵害 参考判例は、当該事案において侵害された権利・利益の内容について何も述べていない。そのため、ここで不法行為を理由とする瑕疵修補費用の賠償請求を認めるならば、権利・利益侵害要件がどのようにして基礎づけられるかという疑問が残る。仮に建物の瑕疵により居住者等の生命・身体が侵害されれば、故意・過失が認められる限り不法行為責任を負うことに疑いはないが、本件のような財産的ではない。また、本件のような財産的ではない、ただ、本件のような財産的ではないため、Xが居住する建物の瑕疵が居住者の居住環境を害し、Xに精神的苦痛が認められる場合には不法行為の成立を認める見解として、次のようなものがある。 第1に、何らかの財産権が侵害されることを前提として、その定式化を試みる見解もある。この見解の内部でも、危険にさらされない利益、建物の安全性を居住権と構成し建物の設計に際する注意義務など、さまざまに見解がある。 第2に、権利侵害の要件は侵害されてないことを前提としつつ、建物の瑕疵修補費用の支出が、建物取得者の生命・身体に対する危険を除去し、その結果、無形的な利益を認めるためのものであることとして、この場面では権利が侵害される場合に準じて不法行為責任を成立させるべきであるという見解がある。 (2) 故意・過失 第1説のように何らかの権利侵害を観念することは不可能ではないか。しかし、本問における瑕疵修補費用が、将来において生じる損害を回避するために必要となる主な目的として支出されるものであることに鑑みれば、むしろ第2説のほうが正確を射たものというべきであろう。 ただし、第2説は、権利が現実には侵害されておらず、侵害の危険があるにすぎない段階で不法行為の成立を肯定するものである。したがって、ここでは民法709条の例外ないし拡張が承認されていることになるが、建物が居住者等の生命に対する危険を有することが明らかであるにかかわらず、これを放置したままではいずれは危険が現実化してしまうのであり、こうした保護の要請にも妥当性が認められる。しかも、仮に建物の危険が現実化して居住者が侵害されても、それから、建物の設計・施工者はいずれにしても責任を負うべき立場にあるのだから、このような責任が少しでも責任を負わなければならない。もっとも、こうした責任の拡張が、本問のような場合にまで認められるかどうかについてはさらに検討する必要がある。 建物の設計・施工者に故意があるという事態は考えにくいため、ここでは過失の有無が重要である。通常とは、一般に結果回避義務を意味するとされるが、本問では、参考判例①のように「建物としての基本的な安全性を確保すべき注意義務」への違反がある場合には、この場合の結果回避義務に当たると考えられる。 ただし、建築基準法令の違反が認められる場合であっても、それがただちに不法行為上の過失と評価されるわけではない。建築基準法は、行政上のさまざまな考慮に基づいて定められたものであるから、同法における1つの考慮要素にはなるとしても、それだけでただちに私法上の注意義務違反となるとは限らないのである。 (3) 損害 損害に関していえば、後述のように、参考判例①は、建物の設計・施工者に対する修補費用相当額の損害賠償を認めている。 損害には財産的損害と精神的損害があるが、本問では問題にならないが、参考判例によれば、建物の所有者が当該建物を第三者に賃貸するなどしてその対価を取得する機会を失った場合であっても、修補費用相当額の賠償を求めたこととの関係で積極的損害はいったん補てんされたとみることができるので、建物の瑕疵が居住者の精神的苦痛を惹起するに足りない場合、その後の損害に対する賠償についてなお請求をできないという趣旨だと考えられる。 (4) 契約責任との関係 最後に、やや異なる観点から、参考判例の立場を検討しておきたい。 本問のような建物の設計・施工者は不法行為責任と請負契約の瑕疵担保責任との関係でいかなる責任を負うのかを検討する。すなわち、売買目的物に関する瑕疵修補費用の賠償は、契約内容に適合する物が引き渡された利益を享受するものであるから、これは本質的に契約の責任である。原則として不法行為は認められないと考えられる。なぜなら、契約の瑕疵担保責任は、給付義務違反を認めるものであり、契約で予定されているはずのリスク配分に留まるものとみられるからである。 たとえば、本問とほぼ同様の事例で、Y-A間に瑕疵担保責任の特約をAとBが合意すると、合意がなされることにより、Xが直接Yに不法行為による損害賠償の請求を認めることはできず、Y-A間の合意が結果的にXに負担になってしまう。もとより、Y-A間の合意が不法に物の効力を及ぼすわけではないが、参考判例①は、それでもなお、Yについて責任を負わなければならないというYの期待を完全に無視して良いわけではない。仮に、参考判例①の立場で無過失責任を認めても、Xはこのような観点から、強度の違法性が認められる場合でない限り、建物の設計・施工者に不法行為責任は成立しないとされた。 [関連問題] 介護施設は、Yの製造した機械式の介護ベッド(以下では「本件介護ベッド」という)を卸売店Aから購入し、要介護者に貸与していた。ところが、本件介護ベッドには、その設計に起因する欠陥により、電動駆動部分に水が侵入した場合に発火する危険およびサイドレールに利用者が挟まれる危険があることが明らかになった。Xは、Aがすでに倒産していたことから、Yに対し、本件介護ベッドの修補にかかる費用の負担を求めたが、Yは費用の支払を拒絶した。そこで、Xは、本件介護ベッドの修補をBに委託し、自ら修補費用を支出したうえで、Yに対し、その費用の賠償を求めて訴えを提起した。このXの請求は認められるか。 [参考文献] 山口・判例時報1993号(旬刊2002号2008)23頁/瀬川・現代消費者法14号(2012)90頁/山本・民事法22号172頁 (山本浩平)

千葉恵美子・潮見佳男・片山直也編者『Law Practice 民法Ⅱ【債権編】〔第5版〕』

不法行為の成立要件|過失・因果関係

公開:2025/11/19

Xは、Yが開設するクリニックで健康診断を受けた際、採血が実施された。Yは採血用の注射針をXの腕に刺し採血を始めたが、Xは針が刺された直後に腕に異常な強い痛みとしびれを感じ、大声で苦痛を訴えた。Yは、Xの大声に驚き、ただちに採血を止め、針を抜いた。Xの穿刺部位は出血で大きく腫れ上がり、Xの腕には強いしびれが現れた。その後、1年にわたってXにはさまざまな処置をして状況改善に努めたが、Xの腕にはしびれの症状が残っており、改善の兆しはない。Xはこの事故に遭遇するまでは、手先の器用さを生かして高収入を得ることのできる職業に従事していたが、この事故のためにそれに従事することが不可能となってしまい、その収入は激減した。 Xは、自分に機能障害が生じたのは、Yが採血に際して、Xの腕の神経を傷つけないように適切な部位を選択し、注意深く穿刺・採血すべきであったのにその確認を怠ったため、穿刺に際してXの腕の神経を傷つけ、それがしびれの原因となったと主張し、Yに対し、収入の減収と慰謝料の支払いを求めて、不法行為に基づく損害賠償の支払を求めた。Xの請求は認められるか。 [参考判例] ① 最判平成8・1・23民集50巻1号1頁 ② 最判平成13・11・27民集55巻6号1154頁 [解説] 1. 概説:不法行為に基づく損害賠償請求権の成立要件 医療事故に基づく損害賠償を不法行為と構成する場合 (709条以下)、賠償請求する患者側は、その成立要件である、①故意・過失、②権利または法律上保護されるべき利益の侵害、③損害、④因果関係のすべてを証明する必要がある。訴えの提起とその後の利用は、個人開業医である医師に多い。そのための費用は医療機関の設置者であるが通常の医療もある(715条)。なお、医療事故は労働災害との問題となるが、過失の注意義務違反に関しては問題はない。 医療訴訟は、身体・生命の侵害が問題となる場合が多い。上記要件のうち①については、一括して同じであるとみることがあるが、より小さな方法を議論の対象として考えるという動きがある。専門知識をもたない被害者側には、①医療関係者の過失、②因果関係の立証は特に大きな障害となりうる。 2. 故意・過失 民法は過失責任主義を採用し、加害者に少なくとも過失がなければ、損害賠償責任を負わせない。「過失」は、通常ありえないように、社会生活上要求される注意を怠って行動し、たとえ損害が発生したとしても責任を問われることはない、とされている。伝統的には、過失を「結果予見義務とその回避義務」という心理的な「不注意」により心理」にあったかという心理状態を考えられてきたが、今日ではこれを客観化された「予見可能性を前提とした結果回避義務違反」と捉えるのが一般的である。加害者にある行為を行わなかったという結果と結びつきさえすれば過失が認められるかどうかにかかわらず、行為自体を「行為の違法性」に求め、加害者にとって、その結果回避可能性がなかったといえるような特段の事情がある場合にのみ、過失が否定されるにとどまる。 医療行為については、社会における医療水準への信頼があるから、生命・身体への危害を生じさせるおそれを常に含み、医療関係者には高度な注意義務が課せられる(最判昭和36・2・16民集15巻2号244頁)。医療事故の場合、医療関係者の過失の有無の判断基準は診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準であり(最判昭57・3・30民集36巻3号484頁)、Aが医療水準として注意義務の内容に問題があるか否かを判断し、問題が医療機関の医療水準の遅れの有無の事情を考慮して個別、具体的に決定される(最判平7・6・9民集49巻6号1499頁)。 医療水準は、最新・高度な学術的な知見かつ臨床医学で医療関係者に浸透すべき義務であるから、医療行為の裁量に委ねることが多い。それゆえ、医療水準であれば、一般に問題とされることがあるが、これは医師の裁量が問題とされるもので、患者には選択の自由が保障されるべき注意義務とされるべきものである。 産業は、経験と知識に圧迫されての穿刺時には適切な危険性を運んで細心の注意を払うべきであったが、いったい何がどうであったのかどうかが重要である。 なお、医療行為には、治療の実施前に患者から同意を得るインフォームド・コンセントも取得も重要であり、十分な情報提供の結果として患者から有効な同意を得ないと不法行為が成立する場合がある。たとえ治療が成功したとしても結果如何に関わらず不法行為が認められる。 3. 因果関係の証明 損害賠償においては、加害行為と結果との間に因果関係が存在することも必要である。因果関係の問題は、加害行為がなかったならば結果もなかったであろうという事実的因果関係があるかという点と、生じた結果のどこまでを賠償させるべきかという法的な評価の2つの点が問題である。医療事故が生じるのは人体であり、必ずしも事故の発生と結果とが単純なケースであるとは限らない。また、医療関係者の関心がすべての生じた出来事を自宅等に置いていた場合には、必要な処置がとられず、さらに、専門書中の存在の判断に必要な情報も残されていないこともある。たとえば、ある症状について診療記録に記載がなかったとしても、症状がなかったことの証明にはならないか、症状に気づいて何もしなかったのかの判断は容易ではない。 因果関係の証明についても、過失を追求する患者側に証明責任がある。訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的な証明ではなく、経験則に照らして立証を検討し、特定の事実が特定の結果を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することをいう。その点では、通常人の疑いを差しはさむ程度に真実性の確信をもちうるものであることを必要とし、それで足りるものとされる(最判昭50・10・24民集29巻9号1471頁)。本問の事故とXの後遺障害との因果関係の証明も、これにしたがう。しかし、訴訟における因果関係の証明は、立証するとしても「高度の蓋然性」を立証することも容易ではない。なお、実施されるべきであった医療行為が行われなかったという不作為の場合には、注意義務が行われなかった不作為の患者との死亡との因果関係は、患者が負う当時における死亡であったこと、つまり侵害が注意義務の懈怠がなかったとしてもその死亡の時点を遅らせることができたであろうという蓋然性が立証されれば、患者がその時点後生存し得た利益を、主として得べかりし利益の侵害の算定によって考慮されるべきであると判示されている(最判平11・2・25民集53巻2号285頁)。 4. 損害の発生 医療事故の場合、被害者は生命や身体に対する重大な損害を被ることが多い。こうした損害が、医療関係者の過失に起因し、それが原因で損害の賠償を認められる場合には、回復されるものである。本問のような、その収入の減収が不法行為によって生じたとすればこれは得べかりし利益であり、損害賠償にこれについても認められる。 しかし、医療事故では、もともと疾病や負傷の患者に生じ、不法行為がなくても医療機関に受診すべきであるように、すでに問題が生じている。患者の疾病が生命を脅かすもので、医師がそれに適切な処置をしたことによって延命するが、元の主たる原因が克服されずに当該疾病の終期には患者が死亡したことなど、死亡の結果は医療の過誤なしに医療機関に賠償をすべてさせることはできない。そこでこの場合には、損害賠償額を考慮して、医療関係者の責任を問題とすることもある。最高裁は、医療水準に適合した医療行為が実施されていれば相当程度の可能性があることを前提として、これを賠償として認められる。これを「逸失利益」と呼ぶ。これとは異なり、これとは異なり、これとは異なり、不法行為がなくても、患者が死亡した場合には(最判平12・9・22民集54巻7号2574頁)、この場合とは区別して、患者が死亡したのではなく、重大な後遺障害が残った場合(最判平15・11・11民集57巻10号1649頁)、逸失利益を算定しなければ損害賠償責任はない(最判平17・12・6判時1921号26頁)。 [関連問題] Aは、胸部痛を訴えB病院(地方の小規模な私立病院)でがんとの診断をされた。Aの病院の医師Zは、Aに開胸手術を実施したが、高齢で心臓疾患や糖尿病などの持病もあるAには手術は極めて負担が重く、急激な血圧低下などにより手術は途中で中止を余儀なくされた。 Aは手術後まもなく死亡した。Aの妻Xは、ZがAの体力等を十分に考慮せずに開胸手術に踏み切ったことは医療水準を著しく下回っていたとして、Aの年齢や全身状態を考えれば、開胸手術ではなく、より負担の軽い腹腔鏡手術を選択すべきであった、B病院が実施できないのであれば大学病院その他の高名な医療機関に転送すべきであったこと、手術に際してはAにその危険性を十分に説明したうえで承諾を得ているとはいえないことをAから相談をうけた、と主張して、不法行為に基づく損害賠償を求めた。 Xの主張に対して、Yはどのようなことを反論しうるか、以下の点を意識しつつ検討しなさい。 Aの体力的には手術に耐えられるかどうか、手術前の検査でどの程度把握できるか。 大がかりな手術である開胸手術がAの予後(術後の経過)でどの程度意味をもつか。 Aの手術に対する同意が有効とされるためには、どのような情報が提供されていることが必要か。

千葉恵美子・潮見佳男・片山直也編者『Law Practice 民法Ⅱ【債権編】〔第5版〕』

不法行為責任の効果|人身侵害

公開:2025/11/19

2020年9月16日午前9時20分頃、A (2009年1月28日生まれの女児、同年11歳)は、自宅から500メートルにある自宅の近くの交差点を横断しようとしたところ、信号機のない交差点を普通自動車(以下「Y車」という)にはねられて、B病院に救急搬送されて治療を受けたが、まもなく死亡が確認された。この交差点はAの通う小学校の通学路になっており、Aも毎日のようにこの道路を通学していた。Yは、この交差点でAをはねた。これにより、Aが横断しているのに気づくのが遅れた過失があった。他方、Aは、小学校の指導にもかかわらずAもこの交差点を横断する際、左右の安全確認を怠っていた。 Aの父Xと母Yは、Yに対して、Aの逸失利益として、Aが18歳から67歳まで49年間にわたって、2019年賃金センサス全労働者計の平均賃金を基にして、生活費を50パーセント、年5パーセントのライプニッツ方式で中間利息を控除した額、Aの精神的苦痛に対する慰謝料、B病院に支払った治療費、葬儀費用をAの損害と認められるとして、損害賠償を求めて訴訟を提起した。 そこで、X・Yは、YにAをはねて、上記の内容の損害賠償の訴訟を提起することにした。この請求の内容から、これに対するYの反論を考慮して検討せよ。なお、Yから支払われるべきものとして、Yが契約している自動車任意保険からの支払も受けるものとする。 [参考判例] ① 最決平成13・9・11交民集34巻5号1171頁 ② 最判平成14・7・9交民集34巻4号921頁 ③ 最判平成17・6・14民集59巻5号983頁 [解説] 1. どんな損害がどんな発生するか (1) 不法行為の成立 本問では、民法709条の不法行為責任が問題になるが、その損害賠償請求が認められるには、①権利侵害または法律上保護される利益の侵害、②それが故意または過失によること、③損害の発生と、④侵害と損害の間に因果関係があることが必要である。Aの生命侵害である。加害者のYのわき見運転は、問題なく成立する。Yも責任の成立自体は争わず、争うのは、賠償の内容である。 なお、自動車による人身事故の場合には、自動車損害賠償保障法上の責任が実際にはまず問題となる。自動車事故の場合、同法の強制保険のほか、任意保険制度も発達し、事故件数も多いため、賠償額算定についてかなり定型化されている場合がある。 (2) 生命侵害の場合の損害 不法行為による損害は、不法行為がなかったとしたら存在した被害者の財産的・精神的利益状態と、不法行為によって生じた財産的・精神的利益状態との差であるといわれる(差額説)。これに対して、生命侵害の場合には、死亡者がそのものを損害と捉える財産的損害、死亡に伴って慰謝料などの精神的損害、死亡がなければ支出したであろう費用(逸失利益)と不法行為によって支出しなければならなかった費用(積極的損害)に分けて考え、これらを合算して損害額を算定する(個別算定方式)。これに対して、個別損害項目ごとに考えるのではなく、賠償額を一括して算定する方式が主張されている(包括算定方式)。 以下の算定方式は、判例が採用している。損害賠算定方式を前提とすると、不法行為責任の損害も賠償されるべきであり、民法416条の損害賠償も適用される。 判例は、死亡によって被害者の慰謝料請求も被害者に発生し(709条・710条)、死亡によって被害者の相続人に相続される(882条)と考える(相続説)。本問では、XとYの他に相続人はいないので、XとYに相続されることになる(相続分は2分の1ずつである(900条4号))。 かつて、慰謝料は一身専属的な権利(896条ただし書)であるから、被害者が具体的に意思表示をしない限り相続されないという考え方があったが、今では財産的損害の賠償請求と同様に相続されるものである。 死亡前に発生している医療費請求権は、死亡者が払っていれば、その相続財産から支払われる。父が費用を負担している場合には、慰謝料と同様に相続の問題となる。 判例が被害者による請求を認めず、固有の損害賠償請求権の行使を被害者の相続人が行使できるかどうかが問題になるが、それが相続によって、被害者の相続人に民法709条の損害賠償請求権を認めるかどうかが問題となる。 以下では、損害賠償を個別に解説する。 2. 損害賠償の内容 (1) 逸失利益 人身侵害における逸失利益の算定方式は、一般には、「逸失利益=(基礎収入-生活費)×年数に対応するライプニッツ係数」(=中間利益)である。 年間収入は現実の収入が基本であり、勤労者が死亡時に得ていた給与である。非就労の場合にはゼロとなるが、愛でていないため、働いていれば得られるであろう年収(×稼働可能年数)による。本問のような女児の場合は、賃金センサスに基づく女子平均賃金をもとに逸失利益を算定し、将来は男女間賃金格差が是正されるとの理由で、男女平均賃金をもとに逸失利益を算定するケースがある。ただし、11歳の子供の死亡事故でも、性別によって賠償額は大きく異なってしまう。実務では、女子の場合に慰謝料を増額したり、生活費控除の割合を少なくすることで格差を縮小してきたが、限界があり、現在では、女子について全労働者平均賃金に基づいて算定することは認められるようになっている(参考判例①②)。 稼働可能年数は、被害者の年齢・経歴・職業・健康状態その他具体的事情を考慮して自由な心証によって算出されるが、実務では、18~67歳くらいまで(67歳以上の被害者については平均余命までの年数の半分程度)とすることが一般的である。 生活費を控除するのは、生きて活動したならば生活費が当然にかかり、その部分は手元に残らないはずだからである。これも実際の額はわからないので、男子では50パーセントを控除するのが普通である。 中間利益が控除されるのは、損害賠мを一時金として一括して支払われるので、被害者が将来受け取るはずであった収入についてはその時期までの間の利息を控除して、支払われる時点での金額を求めなければならないからである。これについて、かつての実務は、単利計算のホフマン方式と複利計算のライプニッツ方式に分かれていたが、現在ではライプニッツ方式に統一された(この計算のほうが大きくなる)と統一された。最近問題になっているのは、この計算の基礎となっている年利であるが、従来は、法定利率年5パーセント(旧404条)によってきたが、近年は低金利が続いており、将来も年5パーセントに戻らなかった。実際に年利3パーセント、4パーセントで控除して認容するケースも現れたが、最高裁は法定利率によることを明らかにしたので、民法404条2項は法定利率を3パーセントに引き下げたので、改正後は3パーセントで中間利益の控除が行われることになる。 (2) 慰謝料 財産損害と異なり、慰謝料は、被害の程度などの被害者側の事情はもちろん、加害者の事情も考慮して(たとえば故意か、軽過失なのか等)、裁判所が裁量で決定される。このため、損害賠償の請求には金額を主張・立証する必要はない。また、加害行為と因果関係ある精神上の苦痛も考慮される。しかし、自動車事故のように同じ事案が多発するケースで、個別事情を考慮して慰謝料額を算定することは公平を欠くため、裁判実務は被害の類型を標準化して慰謝料額を算定し、それに一定の幅をもたせて、増減額が図られている。 本問の被害者が死亡した場合の慰謝料については、11歳であった。両親の被害者への愛情の程度などを勘案すれば、慰謝料の額は自己の慰謝料を請求するのではなく(711条)、X・Yが相続した被害者の慰謝料に自己の慰謝料を請求するのは妥当である。ちなみに、11歳女児が交通事故で死亡した参考判例③の事件では、本人3000万円、両親それぞれ250万円の慰謝料に対し、本人1700万円、両親それぞれ200万円の合計2100万円の慰謝料が認容されている。 (3) 治療費・葬儀費用 入院によって生じた治療費は、積極的損害として賠償の対象となり、生命に発生している医療費に当たって、当然賠償の対象となる。本問のような場合には、父母が実際に支出することが多いが、父母はそれを請求できる(711条)。いずれにしても死亡による損害とは別に問題はない。 葬儀費用はいずれ必ず支出されるものである。このため、葬儀との因果関係はいずれ必ず支出されるものである。しかし、判例は、被害者の社会的地位等からみて相当の範囲で請求を認める(最判昭43・10・3判時540号38頁)。実務に認められるのは150万円程度である。 (4) 弁護士費用 弁護士に民事上の処理を依頼した場合の費用も請求できる。裁判所が相当と認めるのは、訴訟の支払額ではなく、そのうち相当と認められる範囲である。 3. 過失相殺 Yとしては、Aの飛び出しを指摘し、過失相殺(722条2項)によって、民法709条の責任能力を前提とする過失と異なり、事理弁識能力の存在を前提とした判断である。 4. 損益相殺** 最後には、民法に規定はないが、不法行為によって被害者が利益を得ている場合には、それが賠償額から控除される。たとえば、被害者が死亡保険会社からの支払があった場合でも、被害者の加入した生命保険からの支払金は、損害を補填するものではないと考えられており、損益相殺の対象とされていない。 [関連問題] 本問について、次のような場合を仮定して検討せよ。 (1) Aは幸運にも一命をとりとめたが、左足の骨折の結果、将来にわたって歩行に支障が残る後遺障害が残る場合。A・X・YはYにどのような請求をすることができるか。 (2) Aが、事故当時満3歳であり、父の保育園に送っていく途中、手を放した隙にAが道路に飛び出し、この交差点でYの運転する自動車にはねられて死亡したとき、X・YはYにどのような請求ができるか。これに対して、Yはどのような反論が可能か。 [参考文献] 水野謙・リーマークス25号(2002)66頁/高橋譲・平成17年度重要判例解説2頁/水野謙=三木浩一=加藤新太郎 民事法Ⅱ 311頁 (和田真一)

千葉恵美子・潮見佳男・片山直也編者『Law Practice 民法Ⅱ【債権編】〔第5版〕』

不法行為責任の効果|経済的損害

公開:2025/11/19

Y社は、非公開会社を募集・販売とする株式会社であり、2019年9月30日、その株式を取引所に上場している。Y社は、2021年度(2022年3月末日終了)の決算において、別途コンテンツについて架空の売上高の計上により利益を水増し、真実3億円の赤字を生じているのに、2億円の利益を水増しする会計処理をするという方法で虚偽記載の有価証券報告書を提出した。2022年6月6日にY社は、株式市場の信頼を裏切り、公衆の信頼を当初から失い、株式の市場から信頼を失っており、もしYが当初から真実の情報を開示していたら、Yは取引所に上場されていなかった。 2022年7月に、個人投資家であるXは、取引市場を通して、Y株を1株2000円で1万株購入した。その後、Yが正しく公表していた事業に係る業績が悪化し、同年9月にはY株の市場価格は1700円程度となった。 2022年10月1日、Y社の独立委員会がYに記者会見を開き、2021年度の有価証券報告書に上記の虚偽記載があること、真実3億円の赤字であったことが、Yが市場から同様の粉飾決算を行っていたこと、Yの代表取締役を交代させることを公表した。Yは、その日の取引時間中に市場の信頼を失い、株価の維持を困難とするために対処処理をするとともに、同日11月10日に、Y株の市場価値を決定した。取引所におけるY株の株価は、同日10月1日の虚偽記載の公表の前の取引日の終値1700円(公表前1か月間の市場価格の平均も1700円)まで下落し、Y株は11月1日に300円まで下落し(公表後1か月間の市場価格の平均は500円)、Y株の市場価値は200円となり、その後の回復は見られず、Y社はやむなく、上場廃止前の最終の取引日の終値1株800円であった。 Xは、Y社が上場廃止になるよりも前に取引所でY株をすべて売却するのではないかと考える。2022年11月1日に取引所でY株を1株300円で保有する1万株を売却した。Xは、Yの虚偽記載によって被った損害の賠償をYに求める訴訟を提起した。Xは、どのような請求をすることが考えられるか。Xの請求は認められるか。 [参考判例] ① 最判平成23・9・13民集65巻6号2511頁 ② 最判平成24・3・13民集66巻5号1957頁 [解説] 1. 金融商品取引法に基づく請求の枠組み 上場会社が作成・公表することを義務付けられている有価証券報告書等の法定開示書類に重要な事項についての虚偽の記載があり、または重要な事実の記載が欠けているとき(以下、虚偽の記載と記載の欠缺を合わせて「虚偽記載等」という)、虚偽記載等に基づいて形成された市場価格で有価証券を取得した投資者は、虚偽記載等があったという事実(虚偽記載等の事実)が公表されたときに有価証券の市場価格が下落することにより、損害を被る。このような投資家の損害の回復を図るために、金融商品取引法(以下、「金商法」という)21条の2は、法定開示書類に虚偽記載等があった場合の投資者の損害賠償請求について、2つの点において不法行為の特則を定めている。 第1に、金商法21条の2第1項によると、虚偽記載等を知らないで、法定開示書類の提出者が発行した有価証券を取得した投資者に対し、発行者は、有価証券の取得者が虚偽記載等を超えない限度において被った損害賠償を負う。この責任は、無過失の立証責任が発行者に課せられた有価証券であれば(同条2項)、同条3項によると、虚偽記載等の事実の公表がされた日(公表日)前1年以内に有価証券を取得した者は、公表日前に取得した当該有価証券の市場価格の平均額から当該1か月間の当該有価証券の市場価格の平均額を控除した額を、虚偽記載等により生じた損害の額として賠償することができる。有価証券取得後の因果関係の証明を要するが虚偽記載等の範囲で推定する。 このことが難しいことを考慮して、投資者の負担を軽減するため、虚偽記載等の公表がされたときに取得した有価証券を保有する投資者が被った損害を推定する規定がある。推定額は、当初、虚偽記載等の存在を知らないで取得した有価証券の市場価格が、虚偽記載等の公表によって下落した部分について損害賠償を負う(同条5項)。 本問のXは、虚偽記載等の事実が公表された2022年10月1日より前1年以内にY株を取得しているので、虚偽記載21条の2第3項の損害額の推定規定を利用することができ、その推定額は、1株につき、公表日前の1か月間のY株の平均価格である1700円と公表日後の1か月間のY株の平均価格である500円の差額の1200円ということになる。 しかし、Yは、虚偽記載の事実の公表によってY株の平均価格が下落したのではなく、Yが発表したYの業績の悪化によってY株が下落したと主張すると、Yは1700円から900円まで下落したのであるから1400円がY株当たりの損害であると主張しうるが、1株当たり1700円(2000円-300円)の損害を被っているようにも思われる。Yは、不法行為のように損害額の賠償を請求できるのではないか。Yは、不法行為の規定とYの間の因果関係を否定してもよいではないか。 虚偽記載がなければ有価証券を取得しなかったといえるか否か 不法行為がなければ有価証券の取得をしなかったと考えるべき場合と、不法行為がなかったとしても、有価証券を取得したと考えるべき場合とで区別して考えるべきであるから、有価証券の虚偽記載等がなければ投資者が有価証券を取得しなかったとみられるか否か、不法行為がなければ投資者が有価証券の取得をしなかったとみられるか否か、不法行為がなかったとしても投資者が有価証券を取得しなかったであろうかという反実仮想をすべきである。 廃止の決定がなされた事例について、投資者が当該有価証券を取得する意図が虚偽記載を確かめていたとしたら、その後も市場に当該有価証券を取得する対象が投資家にとって内外において当該有価証券を取得するという具体的事情が生じたと認定した(参考判例②)。 虚偽記載がなければ投資者が有価証券を取得したか否かは、投資家の取引の判断の過程で、虚偽の記載がなければY株を取得しなかったか否かという事情を具体的に判断しなければならない。本問のXが、虚偽記載がなければY株を取得しなかったと主張するためには、どのような事実を示したらよかろうか。 虚偽記載がなければ投資者が有価証券を取得しなかったとみるべき場合は、有価証券を取得したこと自体が投資者の損害であるから(ここで、このような損害を取得自体損害と呼ぶことがある)、その賠償額は、取得価格と処分価額との差額(もし、有価証券を保有しているときは、取得価額と現在の市場価額との差額)となるのが損害額の自然な帰結であろう。これに対し、取得自体損害の前提を投資者の自己決定の尊重の原理的な基礎が認められるには、虚偽記載等の事実が投資家の自己決定に影響を与えたという決定的な理由がなければならないとする。 参考判例①は、虚偽記載がなければ有価証券を取得しなかった場合の損害額について、虚偽記載との差額を考慮して、経済情勢、市場動向、当該会社の業績等、虚偽記載に起因しない市場要因の影響を控除して算定すべきであるとした。その理由として、そのような場合は、投資家は虚偽記載と無関係の要因に基づき変動することを予想して株式を取得し、かつ虚偽記載について開示された情報に基づいて株式を処分するか保有し続けるかを自己の判断ですることはできた状態にあったことを挙げる。もっとも、参考判例②においては、投資家は有価証券を取得しなかった以上、虚偽記載以外の要因による市場価額の変動から損害を被ることがないとみるべきである、という反論がある。 本問において、虚偽記載の公表の直前のY株1株当たりの300円の値下げが虚偽記載と無関係の要因に基づくものか、虚偽記載の事実の公表がなければ投資者の損害額の算定の基礎であるか。この点、3で検討しよう。 虚偽記載がなければ有価証券をより低い価格で取得したとみるべき場合 本問の虚偽記載がなくてもXはY株を取得していたと認められるが、真実が公表されていれば、その情報を反映して、より低い市場価格が形成されていたであろうから、より低い価額でY株を取得していたといえる場合に、XがYから得るべき投資者の被害については、取得価格が真実が公表されていたら形成されていたであろう市場価格(想定額)と実際(取得時価額)であるとすると、虚偽記載の事実の公表がされたことによって生じた市場価額の下落は、不法(取得時価額)であるとすると、虚偽記載と処分時価額との差額であるとして市場が下落した場合にこれを賠償の範囲に含める見解がある一方、取得価額と処分価額との差額は株主の地位に基づくもので発行会社との間の取引行為に当たる場合には認められないとして、株主が会社に請求できる損害を取引時価額に限定する見解がある。 有価証券報告書の法定開示書類の重要な虚偽記載等の事実が公表されると、虚偽記載を信頼して発行市場で有価証券を取得するものが生じるなどして発行市場が信頼を失い、市場が機能しなくなるおそれが生じるとして発行された価格が信頼を失い、市場が機能しなくなるおそれがあるから、いわゆる「ろうばい売り」を誘発し、真実なら発行市場の価格が形成されていたであろう市場価格が大きく下落することが多い。本問でも、Y株の市場価格は、1株当たり1700円から300円にまで下落しており、その要因には、Yの代表取締役が交代したこと、Yに上場廃止のおそれが生じたことも含まれているだろう。 この点について参考判例①は、いわゆるろうばい売りが集中することによる過剰な市場価格の下落は、有価証券報告書の虚偽記載があれば、それが利用されることによって通常生ずべきと予想される損害であって、これを虚偽記載とは無関係な要因に基づくものというべきではないとした。 参考判例②は、金商法21条の2第3項が適用された事例であるが、同項の「不法行為の規定による損害賠償」に相当因果関係のある損害のすべてを含み、これを取得時価額に限定すべきではなく、発行者の行為に関する独立性、代表取締役の解任、株式の市場性の確保、これらをめぐるマスメディアの報道、発行者の信用失墜といった各種事情から全て市場価額の下落についての賠償を認めた最高裁の判断を確認した。 これらの判例の考え方によると、Xに与えられるべき損害賠償額はいくらになるだろうか。 4. 過失相殺と損益相殺 投資者が虚偽記載に基づく損害賠償を不法行為により請求している場合はもちろん、金融商品取引法に基づいて請求している場合にも、民法722条2項の過失相殺の規定が適用される。しかし、法定開示書類の虚偽記載請求訴訟において、過失相殺が認められた事例はないようである。被害者(投資者)側の過失を理由に発行者の損害賠償額が減額されるべき場合として、どのような場合が考えられるだろうか。Xは、上場廃止直前までY株を保有していれば、1株800円程度で売却できたのだから、早期に売却したことはXの損失を評価すべきだろうか。また、虚偽記載がなければ有価証券を取得しなかったとみるべき場合に、虚偽記載以外の要因によって市場価額が下落した部分を控除して損害額を求める(参考判例①)の考え方は、虚偽記載以外の要因による市場価額の変動を被害者の過失によって負担を負わせているとみることによって説明できないだろうか。 損益相殺の主張が認められた事例も見当たらない。虚偽記載が行われた期間に取得した有価証券の一部につき、投資者がこれを虚偽記載の発表前に売却して利益を得ていたときは、当該利益は、売却しなかった有価証券について生じた損害の賠償額から控除すべきだろうか。虚偽記載がなければ取得した有価証券を保有し続けるべきだろうか。 損益相殺の対象とすべきだろうか。損益相殺については、夫婦間の問題が多い。 [関連問題] Xは、2022年9月30日に、取引所市場を通じて、Y株式会社の発行するY株を1株2000円で1万株購入した。2022年10月1日、Yは突然、投資手続開始の申立てを行い、裁判所より破産手続開始の決定を受けた。Yの株価は1株2000円より連日ストップ安となり、5日後に1株1円となった。Xは、この間、Y株の市場での売却を試みたが、売買が成立せず、10月6日にようやくY株を1株1円で売却することができた。Y株は同月15日に上場廃止となった。 破産管財人が調査した結果、Yは、株式の上場後である2019年3月期より、架空の売上高および利益を計上する粉飾決算を続けていたことが判明し、Yは当該事業を2022年12月1日に公表した。 Xは、Yに対する損害賠償を民法上の不法行為を理由として提起した。Xの損害はどのように算定されるか。 [参考文献] 黒沼悦郎・金融商品取引法判例百選(2013)12頁/松岡啓祐・民商法雑誌(黒沼悦郎)

千葉恵美子・潮見佳男・片山直也編者『Law Practice 民法Ⅱ【債権編】〔第5版〕』